2011/02/08 Category : エッセイ 相撲道 「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」は、人間本能のなごりを言い当てた、ビートたけしの名言と思っている。上下、優劣、損得のしがらみができる組織において、正しいことが通用しない時には、黙り込むか、迎合するか、逃げ出すかなど、人は安易な道を選びやすい。戦うには、相当の覚悟がなければならない。 今回の相撲界の顛末を見ていると、比較優位の体力と、ちょっとした才能だけで要職についた、私たちと同世代の連中がいかに多かったかが、よく分かった。引退後も相撲界に残り、一般市民を超える経済的恩恵を受けながら、昔からあったはずの八百長に一様に黙りこむ彼らに、「相撲道」とはどんな『道』ですか?と尋ねてみたいものだ。 証拠がないことを背景に、これまで数々の告発に『勝ち続けた』相撲協会だが、携帯電話の、『削除したはず』のデータが命取りになった。 しかし、証拠を挙げられた現役力士だけの問題としてはならない。生き残っているかつての当事者には、相撲界から去ってほしいが、たとえ人物特定が困難でも、不正を知る立場にいた全ての関係者が、今回責任を問われる若い力士の将来に対し、我がこととして手を差しのべる道議的責任はあろう。怪我や病気中の地位の据え置き、幕下以下の給与見直しなど、八百長という選択を排除するための条件整備も必要だ。 今は亡き相撲解説者の元関脇、玉の海梅吉氏が、戦前の自身の八百長相撲を告白したことがあった。情に流された八百長だったというが、72才での告白は勇気ある行動だった。『正しく』生きることはいつの世も辛いものだ。理事という名誉を、親方という地位を捨てることのできる者がいて、初めて「相撲を残すべき」との国民の声が高まろう。引退後、取り締まる側になった彼らが、現役時代の触れられたくない問題に触れない限り、「相撲道」も生き残れないように思える。 [5回]PR
2011/02/02 Category : エッセイ 雪 クリスマスまでは少雪と思われたこの冬であったが、年明けからの大雪で日本のあちこちが悲鳴を上げている。 車優先の交通対策上から、迅速で効率的な除排雪体制が求められる一方、特定受益者の多い生活道路については、行政は応分の住民負担を求める。だが、町内会費を払わぬ者もいて、公平な住民負担にはならないとの苦情が出る。数十年前の冬に比べれば、除雪水準は相当に高くなっているが苦情は一向に減らない。 交通対策上からの予算の増額は既に限界だろう。北海道だけでも、除排雪におそらくは年間600億円くらいは、つぎ込んでいると思われるが、今後の高齢化社会の除排雪は、交通対策と切り離し、生命に関わる福祉対策の一環として問われていかざるを得ないのではないだろうか。 春になれば解けるだけの雪ではあるが、雪を冷熱エネルギーととらえれば、雪1㌧あたり10㍑の原油に相当する。ふわふわの新雪ならば1m3あたり0.1㌧として1㍑。札幌の面積を1千km2、年間降る雪を5mで計算すると、原油500万klに相当する。原油単価を100円/㍑とすると札幌だけで5千億円の冷熱エネルギーが、毎年空から降っては解けていく計算だ。山への降雪は潤沢な水資源となってはいるが、せめて捨てられる雪の1%でもそのエネルギーを有効利用したいと思う。 雪は外気を冷やすだけでなく、空気中のゴミを吸着したり、殺菌効果や、ニオイの吸着効果もあるというから、雪冷房は単なるエアコンよりも健康に良い。介護施設での利用もできるし、雪を使って、冷涼な乾燥空気をつくり魚の一夜干しをつくることもできる。 北欧では、「雪は、神様がくれた白い橋」との表現もあると聞く。夏に渡れぬ沢や薮の向こうを訪ねることができるからだ。 かつて、道北の冬の森を散策したことがあった。吹雪いていた駐車場でスキーに履き替え、一歩、森の中に入るとそこは静寂な白い別世界だった。白雪に見つけたうさぎの足跡をたどった沼の中心から見る周囲の木立は絶景だった。 慌ただしい雑踏の中で邪魔にされる雪も、一方には、別の顔がある。時間のネジを巻き戻し、ダウンシフトした昔に戻って今を振り返れば、見落としてきたものが見える気がする。通勤、通学には長靴を履くのが普通だった時代、全てが今より不便で我慢を強いられた生活だったのだろうか。 環境に配慮したつもりで、大画面、大容量の省エネ製品を購入させられるような虚構生活に染っている現代だからこそ、なおさら、過去の暮らしの視点から振り返ってみることも必要なのではないか、と思う。 [2回]
2011/01/16 Category : エッセイ 市民委員会と市民行政室 市民が行政に関わる仕組みとして、「(仮称)市民委員会」と「(仮称)市民行政室」を提案している。 「市民委員会」は、「ゆうばり再生市民会議」と「名古屋市地域委員会」にヒントを得たものだ。まちづくりに関わりたいと集まった人が、教育部会や、福祉部会などに参加し、課題や解決方策を話し合い、選挙で選ばれた「(仮称)代表市民委員」が、部会間の関連施策などを調整しながら、後述の「市民行政室」に政策を提案していく。 「市民委員会」では、提案政策の予算の使い途までを決める。予算は議会の議決を経て、行政内担当部課が執行する。解決方向を示すのみに終わったものも、行政担当部課は意見を最大限尊重して施策化検討を進め、適宜、進行状況を「市民委員会」に報告する。 「市民行政室」は既存の企画担当部課のイメージに近いが、「市民行政室長」は「代表市民委員」の中から首長が委嘱するもので、行政内の起案段階から市民目線で関わっていくことを意図している。 このような仕組みによって、発言機会だけ付与された単なるボランティア集団から、「市民政策集団」への脱皮が可能となる。行政任せの住民体質からの脱皮も促進されるだろう。また、市民委員会での議論の深まりは議会活動への関心も高め、市民委員会には多彩な議員候補の養成という副次効果が期待できよう。 市民行政室長として市民が行政の日常業務に入り込むことで、行政内部の緊張感と、情報公開の機運が促進されることにもなる。もちろん、市民委員会と市民行政室の連携によって、さらに効率的・効果的な自治の確立が図られる。これらの提案は、単なる机上の夢物語なのだろうか。 今年は統一地方選挙。どこかの自治体でこのシステムを取り入れることを願って活動を始めている。 [3回]
2011/01/05 Category : エッセイ 議会基本条例 行政課題や、政策の形成・決定過程に関する情報を住民と共有し、議員は、住民に説明責任を果たすことが重要との問題意識から、栗山町議会が議会基本条例定めたのが2006年5月。いま全国で議会基本条例を持つ自治体は160を超えている。しかし、議会基本条例をつくれば住民に開かれた議会になるというわけではない。美辞麗句にだまされないためには、模範となった栗山町の条文と比較すればよい。議会が本当に住民に目を向けているのかどうかが分かる。 どこの自治体もまずは、栗山町をモデルにしている。条文の一部を、今話題の名古屋市で比較してみた。(画面クリックで拡大表示) どのように文言が変えられたかで、住民に身近な議会になろうとしているかどうか、議会の本気度が分かろう。 今年は統一地方選挙。一人ひとりの住民が議会を身近にしない限り、日本を変えることはできないようにさえ思える昨今である。 [1回]
2010/12/23 Category : エッセイ 老老介護問題 硬膜下出血で入院が長引き、要介護認定基準4となった義父は、1年経って病状がようやく安定し、老健施設に移った。老健施設は在宅復帰前提の中間施設だが、要介護度の高かったことにある面救われた思いでもいる。老健施設に入れなければ、早晩、義母が共倒れになることは目に見えていたからである。義母は日常生活にほぼ支障はないが、歩行には杖を必要とし、心臓ペースメーカを入れ、腰は少し曲がって腰痛をだましだましの生活である。頭がしっかりしているから要支援1の認定で済んでいるが、義父の面倒を見るには余りに負担が大きい。 義母を訪ねるのは月に1度がやっとだが、家の周囲に店舗はなく、路線バスも止まらない町外の田舎だから、我が家で連れ出す以外、日常品の購入は、せいぜい、知人の善意による買い物代行か、車便乗を当て込むしかない。タクシーを呼んで買い物をするという選択肢は、戦中戦後の耐乏生活が身についた老人の頭にはない。 「腰に悪いからやめろ」と言ってもやめない畑で、一人暮らしを賄う野菜を作り、あとは、家族等がたまに送る食材や冷蔵庫・冷凍庫にため込んだ食材でつましく暮らしている。 核家族化が進み、子供たちがいても老々世帯は多い。世帯ごとに様々な事情でも、老々世帯に共通して深刻なのは、老老介護問題だろう。一方の老人がもう一方の老人をみる「老老介護」に限定した問題ではない。「老老介護問題」こそが論点である。片方が倒れれば、家族全員、少なくとも一挙に二人の“生き死に”の問題になるという意味だ。看取られる側が看取る側の辛さを思いやって死にゆくことを思うと更に悲惨だ。その解決は自治体や国だけで解決できる問題ではない。義父の入退院を顧みて、子供への犠牲を強いないために、老老介護問題は健常者のうちから「自分」の「健康管理」の問題ではなく「自分たち」の「生死」の問題として考えておくことが必要だと教えられている。 [2回]