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碧濤のひとりごと

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老老介護問題

 硬膜下出血で入院が長引き、要介護認定基準4となった義父は、1年経って病状がようやく安定し、老健施設に移った。老健施設は在宅復帰前提の中間施設だが、要介護度の高かったことにある面救われた思いでもいる。老健施設に入れなければ、早晩、義母が共倒れになることは目に見えていたからである。義母は日常生活にほぼ支障はないが、歩行には杖を必要とし、心臓ペースメーカを入れ、腰は少し曲がって腰痛をだましだましの生活である。頭がしっかりしているから要支援1の認定で済んでいるが、義父の面倒を見るには余りに負担が大きい。
 義母を訪ねるのは月に1度がやっとだが、家の周囲に店舗はなく、路線バスも止まらない町外の田舎だから、我が家で連れ出す以外、日常品の購入は、せいぜい、知人の善意による買い物代行か、車便乗を当て込むしかない。タクシーを呼んで買い物をするという選択肢は、戦中戦後の耐乏生活が身についた老人の頭にはない。
 「腰に悪いからやめろ」と言ってもやめない畑で、一人暮らしを賄う野菜を作り、あとは、家族等がたまに送る食材や冷蔵庫・冷凍庫にため込んだ食材でつましく暮らしている。
 核家族化が進み、子供たちがいても老々世帯は多い。世帯ごとに様々な事情でも、老々世帯に共通して深刻なのは、老老介護問題だろう。一方の老人がもう一方の老人をみる「老老介護」に限定した問題ではない。「老老介護問題」こそが論点である。片方が倒れれば、家族全員、少なくとも一挙に二人の“生き死に”の問題になるという意味だ。看取られる側が看取る側の辛さを思いやって死にゆくことを思うと更に悲惨だ。その解決は自治体や国だけで解決できる問題ではない。義父の入退院を顧みて、子供への犠牲を強いないために、老老介護問題は健常者のうちから「自分」の「健康管理」の問題ではなく「自分たち」の「生死」の問題として考えておくことが必要だと教えられている。

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