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碧濤のひとりごと

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 クリスマスまでは少雪と思われたこの冬であったが、年明けからの大雪で日本のあちこちが悲鳴を上げている。
 車優先の交通対策上から、迅速で効率的な除排雪体制が求められる一方、特定受益者の多い生活道路については、行政は応分の住民負担を求める。だが、町内会費を払わぬ者もいて、公平な住民負担にはならないとの苦情が出る。数十年前の冬に比べれば、除雪水準は相当に高くなっているが苦情は一向に減らない。
 交通対策上からの予算の増額は既に限界だろう。北海道だけでも、除排雪におそらくは年間600億円くらいは、つぎ込んでいると思われるが、今後の高齢化社会の除排雪は、交通対策と切り離し、生命に関わる福祉対策の一環として問われていかざるを得ないのではないだろうか。
 春になれば解けるだけの雪ではあるが、雪を冷熱エネルギーととらえれば、雪1㌧あたり10㍑の原油に相当する。ふわふわの新雪ならば1m3あたり0.1㌧として1㍑。札幌の面積を1千km2、年間降る雪を5mで計算すると、原油500万klに相当する。原油単価を100円/㍑とすると札幌だけで5千億円の冷熱エネルギーが、毎年空から降っては解けていく計算だ。山への降雪は潤沢な水資源となってはいるが、せめて捨てられる雪の1%でもそのエネルギーを有効利用したいと思う。
 雪は外気を冷やすだけでなく、空気中のゴミを吸着したり、殺菌効果や、ニオイの吸着効果もあるというから、雪冷房は単なるエアコンよりも健康に良い。介護施設での利用もできるし、雪を使って、冷涼な乾燥空気をつくり魚の一夜干しをつくることもできる。
 北欧では、「雪は、神様がくれた白い橋」との表現もあると聞く。夏に渡れぬ沢や薮の向こうを訪ねることができるからだ。
 かつて、道北の冬の森を散策したことがあった。吹雪いていた駐車場でスキーに履き替え、一歩、森の中に入るとそこは静寂な白い別世界だった。白雪に見つけたうさぎの足跡をたどった沼の中心から見る周囲の木立は絶景だった。
 慌ただしい雑踏の中で邪魔にされる雪も、一方には、別の顔がある。時間のネジを巻き戻し、ダウンシフトした昔に戻って今を振り返れば、見落としてきたものが見える気がする。通勤、通学には長靴を履くのが普通だった時代、全てが今より不便で我慢を強いられた生活だったのだろうか。
 環境に配慮したつもりで、大画面、大容量の省エネ製品を購入させられるような虚構生活に染っている現代だからこそ、なおさら、過去の暮らしの視点から振り返ってみることも必要なのではないか、と思う。

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