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碧濤のひとりごと

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責任社会

 社会保障と税の一体改革が「待ったなし」の緊急事態と叫ばれるが、それと表裏一体のはずの事業仕分けや特別会計、独立行政法人の整理が先送り事項に仕分けられてしまうのではあるまいか。大切なことが記憶の片隅に押し遣られ時が過ぎていく。
 中学生の頃、植木等主演映画「無責任男」シリーズを見ては笑い転げた。あの映画がなぜ流行ったのかを考えると、当時の世相の裏返しだったような気がする。戦前派、戦中派、戦後派の価値観が混在する中、高度成長で急激に変化する社会。そんな中にあって、気楽なサラリーマンに思いを馳せる、まじめなサラリーマンたちのつかの間のはけ口が、無責任男シリーズだったのではないか、という意味だ。
 それに引き替え、現代はいわゆる要職にある人たちの無責任が目に付く。衆院財務金融委員会に参考人招致されたAIJ投資顧問社長の答弁も呆れるが、原発事故で浮き彫りになった電力会社、政府、学会の要職にある者の薄っぺら責任感覚は、映画の無責任男を凌ぐほどだ。だからこそ、簡単に、要職者の言葉を真に受けるわけにはいかない。
 がれきの引き受け要請もそうだ。地域が引き受けてしまえば「♪ ハイ それまでョ ♪」で終わりではないか、の不信が消えない。「丁寧な説明」と言うなら今こそ公開討論会等で住民に説明を尽くすべきだ。公開討論会で民意を得るという方法を国はプルサーマルでは実施してきたではないか。万一の被害は膨大な数の住民に及ぶのだから、議会や首長の了解を得るだけでは済まないはずだ。放射能汚染までを「痛みの分け合い」という美名の下で、全国各地にばらまいてはならない。
 不法投棄は止まず、安定でない廃棄物が入り込み、硫化水素の発生や地下水汚染を引き起こしてきた安定型産業廃棄物最終処分場を思い起こせばよい。日本弁護士連合会は安定型産業廃棄物最終処分場の新規着工を認めないよう環境省に意見書提出を行ったが、抜本的対策はとられないまま今に至る。がれきの中に大量の放射能が検出されても、「検査基準の強化で対応します」などとされて終わりとされる懸念は消えない。
 東日本大震災被災者の「決してあきらめない」挑戦を、良識国民の責任社会構築への闘いとして昇華継続していかなければ、日本そのものの未来も失われてしまうような気がする。

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喜ばれる喜び

 海外協力のあり方として何度か放映されているテーマだが、現地にある道具や材料を使って、井戸掘りやかまど作りをするという番組があった。支援される側にとっても、現地で再生産できる生活密着型技術の波及効果は大きい。熱効率の高いかまどは燃料の大幅な節約になるし、水汲みに遠路まで行く労力も時間も別の仕事に使える。作業を通じて日本人との交流も育くまれるから、カネやモノの提供ではできない、日本への理解、つまり裾野の広い文化交流ともなるだろう。井戸掘りやかまど作りを通じて、現地の人たちから貰った感謝の言葉は、日本人職人に、いつまでも喜びとして残るものだろう。喜んでもらえた、という喜びに勝る喜びはない。改めて、日本人が受け継いできた感性や、職人技術の高さを誇らしく思った。
 巨大なインフラや工場、機械の援助などは、為政者や大企業の利権に結びつきやすい。原子力発電所の輸出もその延長線のものかもしれない。利他的に見える行為も、悪魔の魂が潜むものなら、手に入れた喜びは刹那的だろう。利権を手にした途端に餓鬼の心は新たな利権を嗅ぎまわることになる。
 今から20年以上も前になるが、漁師宅の庭先を切り込む道路工事を担当したことがあった。前浜を望む崖の上にその家があった。前任の担当が「家は引っかからない」と、庭の一部の補償だけで済まそうとしていたが、拡幅道路の法面が切り上がって自宅に迫ってくるものだから、高齢の漁師に納得できるわけはなかった。私がその工事を引き継いで、岩盤強度を低く見積もり、自宅ごと補償したことがあった。岩盤強度には幅があるから、不適切な判断をしたわけではない。低い強度とすると、切り取る斜面を緩くしなければならず、掘削土量が増え自宅が引っかかることになる。自宅の移転場所も役場に掛け合って前浜隣接地に役場所有の空き地を見つけた。
 転勤する時、職場仲間に別れの挨拶をしていると、とっくに忘れていたその漁師が、箱いっぱいの獲れたての魚を持って見送りに来た。あの時の喜びは、今でも懐かしく思い出される。人生はしみじみとわき上がる喜びの中で年老いていきたいものだ。

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無明

・・・社団法人は良心をもたぬといわれるが、或る国家もまたそうなのである。言いわけが合法的にできさえすれば、その利己的行動は大手を揮って天下の公道を横切る。愛国精神・団体精神などいう多くの美名嘉称でいかに多くの悲禍が将来せられたことであろうぞ。これは個人的利己主義からの業果よりもひどいものがある。そしてそれが通常、経済的利害または政治的威信の線に沿うて何かの形で損失を蒙る場合には、その損失は自ら集団の全面にわたりて分担せられねばならぬ。それ故指導者達は、自己のあらゆる行為に対して、十分の責任を感じ、また公共心という道徳感を深く抱かなくてはならぬのである。公共心に富むということは、それがそれだけで内容と実質が相伴うている時は非常に良いことであるに相違ないが、形の上で公心でも、質の上の私心であることがある。或いはあらゆるものを犠牲にしても排他性を極度に肯定するような場合には、われわれはその結果がわれわれをどこに落ち着かせるかを能く知るのである。われわれは今や全世界にそれが事実の上に示されつつあるのを目撃している。そして最も悲しむべき事は、われわれが無能・無力であること、而してこの向こう見ずな思考が避けられぬ終局へ近づきつつあるのを阻止し能わぬということである。われわれは多分、無始以来の過去から積んできた自分自身の業の必然の働きに服従しなければならないのであろう。われわれが今日自己の周囲のあらゆる面で目撃している、このほとんど絶望ともいうべき事態から、いかにしたら立ち上がることができるか、最も簡単な方法は、われわれが自己の無明に気が付くと共に、それによって業の足枷を打ち破ることである。・・・


 1936(昭和11年)ロンドン大学で開催された「世界宗教信仰大会」で、仏教学者鈴木大拙が講演した「無明と世界友好」の中の一節である。世界大戦を目前にした不穏な世界情勢への大拙の警鐘に思える。少し言葉を換えてみると75年後の今を言われているようにも読める。

 社団法人は良心をもたぬといわれるが、日本という国家もまたそうなのである。言い訳が合法的にできさえすれば、危険きわまりない政策も大手をふるって「必要」として推進される。経済成長、国民保護などという多くの美名美称の下で多くの悲劇が引き起こされてきた。これは個人的利己主義からもたらされる波及被害よりもひどいものがある。そして、国家が、経済的、政治的に何かの形で損失を受ける場合には、損失を国民が全面的に分担しなければならない。それ故、指導者達は、自己のあらゆる行為に対して、十分の責任を感じ、また公共心という道徳感を深く抱かなくてはならないのである。公共心に富むということは、それがそれだけで内容と実質が相伴っている時は非常に良いことであるに相違ないが、形の上で公心でも、質の上の私心であることがある。あるいはあらゆるものを犠牲にしても排他性を極度に肯定し、権益集団のみが席巻するような場合には、われわれはその結果がどうなるかを、福島原発事故でよく知ったのである。われわれは今や全世界にとっても原発が危険である事実を目撃している。そして最も悲しむべき事は、われわれが無能・無力であること、膨大な被曝被害の現実に直面しても、まだ原発が必要だと、向こう見ずな思考が避けられず終局へ近づきつつあることを止めることができないということである。われわれは多分、過去から積んできた自身の業の必然の働きに服従しなければならないのであろう。われわれが、今日を取り巻く、ほとんど絶望ともいうべきこれら事態から立ち上がる最も簡単な方法は、国家がいかにわれわれを無明の闇に沈めてきたかに気が付くと共に、煩悩に閉ざされていた真実に目覚め、自治を阻む壁を打ち破ることである。

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下山の時代

 ソ連崩壊後間もないサハリンを毎年のように訪ねたころがあった。ボールペン、100円ライター、パンスト、化粧石けん、何でも喜ばれたが、野菜の種は特に喜ばれたお土産だった。旅費が高かったので、二年目からはビザの手配は自分で行い、乗船代だけを払って、それまでに知り合ったサハリン残留日本人の家を泊まり歩いた。インスタントラーメンの空き袋がリビングボードに飾られていたり、泥棒対策に、ソビエト時代のテレビを窓から見える所に置き、奥の部屋で日本製テレビに見入る時代だった。
 日本人の母と韓国人の父を持つTさんの家で、友人を10人ほどを集めて歓迎会をしてくれたことがあった。ロシア語と韓国語が混じる会話を、たどたどしい日本語で通訳しながら、Tさんは古いアルバムを見せてくれた。中に、その日集まった皆が写った20年前(1970年頃)の一枚があった。家具もボード内の食器さえも今そのままの写真に、時間が止まった空間を体験するような、不思議な感覚に襲われたものだ。
 五木寛之が言う「下山の時代」はその感覚を思い出させた。一心に登山する時には、踏みしめる足下にしか向けなかった関心が、花や鳥、向こうに霞む海や雲・・・四方に関心が広がる下山。
 暮らしに必要なものは、<品質>以外にも、つくり手の思想や行動も見定めた「ほんもの」を購入したいと思う。経済社会の秩序は、上から下を見て縛りつけるような<規制>ではなく、襖の向こう側の息遣いを思いやるような「きずな」でありたいと思う。私たちは心のどこかでそれらを望みながら、すぐに陳腐化する流行に躍らされ、周囲との関わりを避けるように自分で自身を壁に囲ってきた面はないのか。
 職場関係というシガラミがとれたであろう私たち世代には、もう不要となった壁があるだろう。垣根を越えた再会の場で培う新たな力を後世に役立てる時代の始まりだ。新しい息吹のサロンづくりが必要とされる時代になっているように思う。
 時を超えたようなサハリンでの思い出と、「下山の時代」という言いようが、老い先の我が身のあり方をそっと教えてくれているような気がした。

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何が起きているのか

 一週間ほど前、札幌白石区で40代姉妹の遺体が発見された。昨年12月半ばの延滞家賃振り込み後連絡が取れなくなったと、マンション管理会社から通報を受けた警察が発見したものだ。知的障害のある妹の面倒を見ていた姉が脳内血腫で急死し、妹はその一月後の最近に凍死したらしい。ガスは11月に止められ、遺体発見時、姉は厚着の上にジャンパーを着ていたというから、生活に困窮していたのだろう。生活保護の担当窓口には何度か訪れているが、公的援助は受けられないまま死を迎えた。
 釧路でも認知症の夫を抱える妻が病死し、その20日後に夫が凍死した事件が報道されたばかりだったから、なんとなく公的業務の事務的処理の延長線上で社会的弱者が命を脅かされている、そんな思いを持つ人たちは多かったのではないか。
 日本もアメリカも人口の15%が貧困層(4人世帯の年収が約200万円以下のイメージ)だ。そのアメリカの大企業の最高責任者の年収は平均的労働者年収の340倍という。30年前の格差は40倍だったというから、この間、『人口の1%が富を独占する』状態に向かって進んできたのは間違いなかろう。
 2010年12月、街頭での販売許可がないと商品を没収され、賄賂を要求された失業青年の抗議焼身自殺に端を発したチュニジア革命、引き続くエジプト革命はアメリカの99%層に火を付け、OWS(ウォール街を占拠せよ)の運動につながっていく。運動の中心地ズコッティ公園で哲学者スラヴォイ・ジジェクは集会参加者に語った。
 「我々が自由だと感じているのは、我々の不自由を明確に述べる言葉が不足しているからだ。民主主義と自由、人権などニセの言葉が状況認識を誤らせ、考えられなくさせる。だが、この運動(OWS)が存在していることこそ、我々がいかに自由を欠いているかの表れなのだ」
 福島原発事故を経験し、我々もまた、自由というものの幻想に気づいたはずだ。それはいつの間にか「ゆでガエル」になっていく自由であった。偽善の自由の中で暮らしていけた時代は為政者も99%を欺くことができたということだ。高祖岩三郎は雑誌『世界』の2月号で「現在我々ほとんどは、今後1%のやることを放っておけば、人間社会のみならず地球自体が破滅するという直観的判断を共有しているが、おそらくこれは間違いではないではないだろう」と述べている。全く同感である。ジジェクは次のようにも言う。
 「腐敗や強欲が問題ではない。問題は我々にあきらめることを強いる制度だ」「本当に難しい問いに我々は直面している。何がほしくないのかは分かった。では何がほしいのか?資本主義に代わるどんな社会組織がありうるのか?どんなタイプのリーダーを求めるのか?」
 40代姉妹の遺体が発見された、という事件報道には、いま全世界で起こっていることと全く同種の、ジジェクからのメッセージが孕まれていると思われてならない。

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