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碧濤のひとりごと

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無明

・・・社団法人は良心をもたぬといわれるが、或る国家もまたそうなのである。言いわけが合法的にできさえすれば、その利己的行動は大手を揮って天下の公道を横切る。愛国精神・団体精神などいう多くの美名嘉称でいかに多くの悲禍が将来せられたことであろうぞ。これは個人的利己主義からの業果よりもひどいものがある。そしてそれが通常、経済的利害または政治的威信の線に沿うて何かの形で損失を蒙る場合には、その損失は自ら集団の全面にわたりて分担せられねばならぬ。それ故指導者達は、自己のあらゆる行為に対して、十分の責任を感じ、また公共心という道徳感を深く抱かなくてはならぬのである。公共心に富むということは、それがそれだけで内容と実質が相伴うている時は非常に良いことであるに相違ないが、形の上で公心でも、質の上の私心であることがある。或いはあらゆるものを犠牲にしても排他性を極度に肯定するような場合には、われわれはその結果がわれわれをどこに落ち着かせるかを能く知るのである。われわれは今や全世界にそれが事実の上に示されつつあるのを目撃している。そして最も悲しむべき事は、われわれが無能・無力であること、而してこの向こう見ずな思考が避けられぬ終局へ近づきつつあるのを阻止し能わぬということである。われわれは多分、無始以来の過去から積んできた自分自身の業の必然の働きに服従しなければならないのであろう。われわれが今日自己の周囲のあらゆる面で目撃している、このほとんど絶望ともいうべき事態から、いかにしたら立ち上がることができるか、最も簡単な方法は、われわれが自己の無明に気が付くと共に、それによって業の足枷を打ち破ることである。・・・


 1936(昭和11年)ロンドン大学で開催された「世界宗教信仰大会」で、仏教学者鈴木大拙が講演した「無明と世界友好」の中の一節である。世界大戦を目前にした不穏な世界情勢への大拙の警鐘に思える。少し言葉を換えてみると75年後の今を言われているようにも読める。

 社団法人は良心をもたぬといわれるが、日本という国家もまたそうなのである。言い訳が合法的にできさえすれば、危険きわまりない政策も大手をふるって「必要」として推進される。経済成長、国民保護などという多くの美名美称の下で多くの悲劇が引き起こされてきた。これは個人的利己主義からもたらされる波及被害よりもひどいものがある。そして、国家が、経済的、政治的に何かの形で損失を受ける場合には、損失を国民が全面的に分担しなければならない。それ故、指導者達は、自己のあらゆる行為に対して、十分の責任を感じ、また公共心という道徳感を深く抱かなくてはならないのである。公共心に富むということは、それがそれだけで内容と実質が相伴っている時は非常に良いことであるに相違ないが、形の上で公心でも、質の上の私心であることがある。あるいはあらゆるものを犠牲にしても排他性を極度に肯定し、権益集団のみが席巻するような場合には、われわれはその結果がどうなるかを、福島原発事故でよく知ったのである。われわれは今や全世界にとっても原発が危険である事実を目撃している。そして最も悲しむべき事は、われわれが無能・無力であること、膨大な被曝被害の現実に直面しても、まだ原発が必要だと、向こう見ずな思考が避けられず終局へ近づきつつあることを止めることができないということである。われわれは多分、過去から積んできた自身の業の必然の働きに服従しなければならないのであろう。われわれが、今日を取り巻く、ほとんど絶望ともいうべきこれら事態から立ち上がる最も簡単な方法は、国家がいかにわれわれを無明の闇に沈めてきたかに気が付くと共に、煩悩に閉ざされていた真実に目覚め、自治を阻む壁を打ち破ることである。

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