2012/02/08 Category : エッセイ 下山の時代 ソ連崩壊後間もないサハリンを毎年のように訪ねたころがあった。ボールペン、100円ライター、パンスト、化粧石けん、何でも喜ばれたが、野菜の種は特に喜ばれたお土産だった。旅費が高かったので、二年目からはビザの手配は自分で行い、乗船代だけを払って、それまでに知り合ったサハリン残留日本人の家を泊まり歩いた。インスタントラーメンの空き袋がリビングボードに飾られていたり、泥棒対策に、ソビエト時代のテレビを窓から見える所に置き、奥の部屋で日本製テレビに見入る時代だった。 日本人の母と韓国人の父を持つTさんの家で、友人を10人ほどを集めて歓迎会をしてくれたことがあった。ロシア語と韓国語が混じる会話を、たどたどしい日本語で通訳しながら、Tさんは古いアルバムを見せてくれた。中に、その日集まった皆が写った20年前(1970年頃)の一枚があった。家具もボード内の食器さえも今そのままの写真に、時間が止まった空間を体験するような、不思議な感覚に襲われたものだ。 五木寛之が言う「下山の時代」はその感覚を思い出させた。一心に登山する時には、踏みしめる足下にしか向けなかった関心が、花や鳥、向こうに霞む海や雲・・・四方に関心が広がる下山。 暮らしに必要なものは、<品質>以外にも、つくり手の思想や行動も見定めた「ほんもの」を購入したいと思う。経済社会の秩序は、上から下を見て縛りつけるような<規制>ではなく、襖の向こう側の息遣いを思いやるような「きずな」でありたいと思う。私たちは心のどこかでそれらを望みながら、すぐに陳腐化する流行に躍らされ、周囲との関わりを避けるように自分で自身を壁に囲ってきた面はないのか。 職場関係というシガラミがとれたであろう私たち世代には、もう不要となった壁があるだろう。垣根を越えた再会の場で培う、新たな力を後世に役立てる時代の始まりだ。新しい息吹のサロンづくりが必要とされる時代になっているように思う。 時を超えたようなサハリンでの思い出と、「下山の時代」という言いようが、老い先の我が身のあり方をそっと教えてくれているような気がした。 [1回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword