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碧濤のひとりごと

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老顔

 人はいつから年取った自分の顔を意識するのだろうか。
 昨晩のことだった。若い人たちとの楽しい会合が終わり、一人地下鉄に乗って帰途についた。終電間際の時間帯で混んではいたがちょうど席が一つ空いていた。左は酔いつぶれて眠る若者。右は痩せた中年男。酒は飲んでいないようだった。
 しばらくすると、右隣の中年男が何やら動きだし、手団扇をし始めた。最初は暑いのかと思っていたが、どうもそうではない。飲みすぎた僕の体からしみ出す、酒のニオイに閉口している素振りだった。
 到着駅までせいぜい5分。僕はなるべくゆっくり息を吸い、なるべくゆっくり息を吐いて、ニオイが拡散しないよう、顔を少し左に向けて無駄とも思える努力をした。しかし、手団扇の男は我慢の限界とばかりに立ち上がり、呻きとも、咳払いとも言えないような小さな奇声を発しながら戸口へと向かった。
 地下鉄がスピードを落としたので、僕もやおら立ち上がり降り口に立った。そして戸袋の小さな鏡に映る自分の老顔に愕然となった。それは十年以上前に他界したはずの父の顔でもあったからだ。
 意識は正常のつもりだったが、映っていたのは、ただの年老いた、だらしのない、酔っぱらいの顔であった。
 どやどやと降りた人の中には、予期したように、手団扇の男はなかった。
 人はどのようにして老顔を意識するのだろうか。
 僕は階段を一足一足上りながら、背後に遠ざかる地下鉄の音を聞いていた。

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夕張再生に向けて

 札幌に戻ってお世話になったM教授に挨拶をしたら、「夕張問題をどう思っているか」と聞かれた。新聞報道をざっと読む程度の知識しか持ち合わせが無くドギマギしていたら、「自治体を支援するNPO法人をつくるので、参加してみないか」ということになった。構成員には、旧職場仲間もいるし、暇もあるし、参加することにした。
 第一弾として、夕張市長をお招きし現状や課題を聞いた。聞きながら容易ならざる問題に足を踏み込んだ気がした。
 財政再建計画は353億円の負債を18年で返そうというものだ。計画の実施による更なる減収、人口減の加速等から期限を待たずに、市役所機能が失われる可能性だってある。北海道が「夕張市以外の再建団体の発生」を恐れ責任回避を続ける途上で市役所が手を挙げたらどうなるか。“まち消滅”に対する新たな負債は誰がかぶるのか。
 ヤミ起債(借金返済起債)を黙認をし、無謀な観光施設の起債を認定した道、観光まちづくりのモデルとして表彰しその後の観光振興を煽った国、エネルギー政策の転換のつけを押しつけた責任も、夕張市の責任とセットで応分の負担が問われねばならない。
 国、道が実質的に作成した「財政再建計画」のもとで、仮に市職員の過労死等を誘発した場合はどうか。人事上の内部問題として市の責任に転嫁される可能性はないか。
 市議会議員、歴代幹部職員の不作為責務は免れないにしても、現役残留職員に、限度を超えた給与削減という形で、過去の責務を押しつけることは適当ではない。内部組織からの発声は難しいから外部から大きな声を出していかなければならない。
  こうして、私はまた、妻の「みんなあなたが蒔いた種よ」という言葉のとおり関わり、容易ならざる人生の縁に翻弄されていくのであろうと思う。

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バードフレンドリーコーヒー

CoffeeShadeGrownlogo.jpg先日、バードフレンドリーコーヒーを飲みながら環境を語る集まりがあった。バードフレンドリーコーヒーというものがあるとは恥ずかしながら知らなかった。我々が飲んでいるのはほとんど、莫大な面積の開墾によってできたコーヒー農園で栽培されたもので、渡り鳥の生息地を奪ってつくられたというのだ。
 コーヒーは本来自然の森林の木陰で栽培されてきたという。この地に生きる渡り鳥は、コーヒーを含む多様な生物環境の中で共存してきたのだが、効率を追求する農園では鳥は生きられないということだった。
 バードフレンドリーコーヒーは、アメリカのワシントンDCに本部を置く環境保護団体「スミソニアン渡り鳥センター」が、伝統的な日陰栽培で生産された有機コーヒーのみを認証し、ラベルの使用を許可している。大変厳しい審査の環境配慮型コーヒーということになる。
 ぜひこのマークをおぼえてご試飲いただきたいと思う。コーヒーを飲みつつ環境問題を語る機会はあったが、コーヒーを意識したことはなかった。バードフレンドリーコーヒーの「コクと香り」の向こうに、それを育てた人たちの気持ちが感じられる気がした。

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夕張問題

 夕張の現状について藤倉市長から直接お聞きする機会があった。生活保護世帯並みの給与で職員の意欲は削がれていないのか、残っている職員に過度の負担が掛かっていないのか、心配だった。
 市民や職員の悲惨さを説明する市長からは、「国、道、市、石炭関連企業、金融機関という5人の役者で作った夕張という舞台に、気づけば市しか上がっていない。応分の負担を分け合ってほしい」とのおしがあり、肉声の持つ力に対し、何とかお役に立ちたいものだと思った。
 私も夕張生まれ。生後まもなくその地を離れた自分に郷愁があるわけではないが、夕張問題を知りたいと目を通した連載記事の執筆者や、松下政経塾の研修報告者に縁があった。
 新聞連載レポート執筆の佐々木譲氏は夕張生まれで、高校も同じ。私の1学年後輩に当たる。また、夕張を研修地に飛び込んだ石井あゆ子さんは、松下政経塾に入る前の、道職員初任地が私の道職員としての退任地だという。 彼女が社会人入学した大学で、指導にあたったM氏には、今一緒に自治体支援のNPOをつくろうとお誘いを受けて行動を共にしており、夕張は半世紀を超えて再び巡ってきた因縁の地のような気がしている。

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春異変

 つい2週間ほど前までは、沿道の雪がじゃまをして一車線分程度の道幅しか取れなかったのに、今は、日陰以外の雪はほとんど解けて、昔を思い返して比べると、ひと月は早い春の訪れのように思います。
 もう40年以上も前の春は、雪に埋もれていた馬糞が路上に顔を出し、早春の風に吹かれて、この時期独特の春のニオイがしていました。いよいよ春と思ったのもつかの間、すぐにまた吹雪き出して、「やっぱり北海道の春は遠いなあ」と、感じたものでした。
 最近は「早春」そのものが短くなっている気がしていますが、特に今年は一気に春が来た感じです。やはり、温暖化の影響なのでしょうね。
 交差点の信号待ちをしていた子どもたちは、何を嬉しそうに話していたのかは知らないけれど、この子たちが私の年齢になる頃の3月末には、桜も芽吹いているのかも知れないと思うと、北海道が北海道でなくなってしまうようで、穏やかな今日の日差しとは別に、何とも言えない寂しさをおぼえてしまいました。

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