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碧濤のひとりごと

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郊外

 市制が施行されて12年、今では人口6万人を超える札幌のベッドタウンである北広島市に住む知人を訪ねた。沿線の風景を見ていると、人口が1万人にも満たなかった40年ほど前、この町のどこかの川原で、背丈ほど生い茂った草わらに寝ころび、真っ青な空を見上げていたことを思い出した。そうだ、羊もそばにいて草を食んでいたっけ。
 あの頃は、札幌から、ずいぶん遠い郊外だった気もするが、今は新さっぽろまで地下鉄が数分間隔で運行し、そこからJRで二駅だから、感覚的にはずいぶん近くなっている。
 もう当時の面影はないほどに都市化されてはいるが、JRに乗り換えてすぐの上野幌辺りの沿線には、幾分当時を彷彿させる風景があって、高校時代、生物クラブの試料採取に来たその時のことを思い出したのだろう。
 風景から手繰り寄せられる記憶は、自分自身を構成する要素でもある。風景の改変を恐れる理由の一つは、普段は忘れている膨大な量の記憶を、無意識の内にある自分の尊厳を、無造作に消されてしまうことに対する反発にもあるような気がする。

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生きがい

 安定性が何より大事な就業の価値観となっている時代に、定年を数年残して、「公務員生活を終えることにしました」とのメールが届いた。
 友人は“安定性”より“やりがい”や“使命感”を選択したのだと思った。
 娘二人の不登校に苦しみ、それを乗り越えてある、今の孫と遊ぶ生活に安住することなく、同じような家庭が溢れる世の中で、自分がなすべき道を選択したのだ。
 「公務員生活のままでもできるだろう」と、現に社会還元している彼の生活をみれば、そう考えるのが普通だ。
 この数年、60歳を前に何人かの知人が逝った。みな、安定した生活を選んだ人たちだ。やりがいを見つけられないまま逝った人生だったのではないか、とも思う。
 昨日、80歳を超えた恩師にお会いした。「60歳からの人生が楽しいんだよ」と励まされた。「20世紀は成長論、21世紀は修復論の時代だ」「ボランティアはだれかに金を出してもらうものではない、自分で金を出して遊ぶものだ」「頭で分かるのではダメで、心で感じなければならない」「もう少し生きて検証したいことがあるので、最近、酒は止めた」。恩師のキラキラした目は、メールをくれた友人と同じだった。

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加齢臭

 父の匂いが加齢臭として嫌われるのは、匂いを通じた記憶が消されるようで悲しい、との新聞投稿記事があった。
 ニオイは個性的なものであるが、最近は、ニオイばかりか、個性的なものが排除され薄められ、倫理観や使命感までが曖昧化されていく気がしてならない。
 一般常識人の批判が、曖昧化された組織の変化を促すには大変なエネルギーを要する時代にもなっている。食品偽装も、耐震偽装も、官僚汚職も、報道機関インサイダー取引も、あってはならないその一線を踏み越えさせたものは、曖昧な倫理観、使命感にあったと思う。
 本物は本来個性的だ。個性を嫌うのは人それぞれだが、排除してはならないものだ。それが社会の偏りを制御してくれるからであり、そういう人間関係の中にこそ、人生の味わいも出てくると思える。
 加齢臭に要らぬ心配をするなと、応援をもらったような気持ちになった投稿記事であった。

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 知り合いの大学教授が今年で定年となるので、出身地に戻られるのかと思っていたら、北海道に残ると聞いて少し嬉しくなった。
 北海道に引き留めたのは雪景色の美しさだという。
 私も雪は苦にならない。除雪は運動だと思えるし、雪が止んだ後の輝きと澄んだ空気は都会にはないすがすがしい天の恵みと思えるからだ。
 しかし、若い人のファッションが雪仕様、寒さ仕様でないのは残念だ。東京方面の読者層をねらったファッション雑誌が冬の北海道の暮らしに向くわけはないと昔聞いた。
 北海道らしいファッションもあるのに、浸透しないのはなぜか、環境問題が待ったなしなのに暮らし方が変われないのに似ていると思った。色とりどりの暖かそうな衣装にくるまれた人々が織りなす、リレハンメル冬季オリンピックの開会式の記憶が頭をよぎった。

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