2008/03/04 Category : エッセイ 生きがい 安定性が何より大事な就業の価値観となっている時代に、定年を数年残して、「公務員生活を終えることにしました」とのメールが届いた。 友人は“安定性”より“やりがい”や“使命感”を選択したのだと思った。 娘二人の不登校に苦しみ、それを乗り越えてある、今の孫と遊ぶ生活に安住することなく、同じような家庭が溢れる世の中で、自分がなすべき道を選択したのだ。 「公務員生活のままでもできるだろう」と、現に社会還元している彼の生活をみれば、そう考えるのが普通だ。 この数年、60歳を前に何人かの知人が逝った。みな、安定した生活を選んだ人たちだ。やりがいを見つけられないまま逝った人生だったのではないか、とも思う。 昨日、80歳を超えた恩師にお会いした。「60歳からの人生が楽しいんだよ」と励まされた。「20世紀は成長論、21世紀は修復論の時代だ」「ボランティアはだれかに金を出してもらうものではない、自分で金を出して遊ぶものだ」「頭で分かるのではダメで、心で感じなければならない」「もう少し生きて検証したいことがあるので、最近、酒は止めた」。恩師のキラキラした目は、メールをくれた友人と同じだった。 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword