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碧濤のひとりごと

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地域主権

 経済成長の恩恵で便利になった暮らしの裏側では、責任の所在が曖昧な社会システムが蔓延し、権益・利権に群がる者たちを自己増殖させてきた。そのほころびが今回の政権交代につながり、「由らしむべし、知らしむべからず」から「知らしむべし、由らしむべからず」となった時代への転換、「国主導」から「地方自主」への転換、「地方公務員」から「自治体職員」への転換が起きていると思っている。
 昨年12月、外務省の元アメリカ局長吉野文六氏は、沖縄返還時に「政府が40年近く否定し続けてきた密約」が存在したことを法廷で明かした。「文書公開は正しい外交を行うことに役立つ」と彼をして語らせたのも「自治体時代」転換への象徴に見える。
 情報公開は、議会の透明化とともに、自治を市民が手に入れるための条件だが、今後、市民に問われていくのは、情報をそしゃくする能力である。
 地方公務員時代を象徴する言葉にも注意が必要だ。『支援』という言葉は<上級官庁>に都合のよい言葉に聞こえ、『一定の配慮』も『支援』する側からの発想で、対等な言葉ではないように聞こえる。
 道や国の責任の所在が曖昧なままに置かれている夕張市。夕張という自治体が万一崩壊すれば、結局は市の負債を北海道が負担せざるを得ないという意味で、被害は道民全体に及ぶ。残される負債のほか、再生途上から崩壊後の後始末に従事する道職員の人件費、施設等維持・運営・管理費、人材派遣する分、停滞しているであろう道行政損害等、負担は莫大なものとなる。つまり、「基礎自治体の崩壊を防止することは道庁自身の政策課題」でもあり、「国と市町村を調整するのが北海道の役割」等とは言っていられない遙かに深刻な問題なのだ。そこを見据えれば、北海道としての『支援』も、当事者としての『協力』と『覚悟』に変わり、国に要請する態度も一変するだろう。
 夕張市の赤字転落は平成6年度頃と言われ、決算の粉飾操作について「国や道もそれを知っていた」ことは、当時の議会での市長答弁が示唆している。粉飾を始めた時から、「国や道にも認められている操作だ」と思っていた住民に、「財政破綻は自己責任」と言うのなら、破綻の危険を知る立場にあった者にも<指導>責任があったはずである。
 日本中、どこの自治体でも、住民の多くは、政治や行政に積極的に関わることなく、つましく暮らしている。その住民の生活を守るのが行政である。『支援』という<給付>と、『配慮』という<恩情>だけが道や国の関わりではないだろう。夕張の子供たちに、親のつくった負債を転嫁させることを<上級官庁>として看過してよいのか。再生計画の策定が大詰めを迎えているが、そもそも負債が巨額に膨らんだ原因は何だったのかについては、国や北海道として自ら『関わり』や『責務』を明らかにする作業を置き去りにしている。置き去りにされたまま地域主権を言われると、また一つ、意味の分からない言葉が生まれた気がしてくる。

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重なった不思議

  前々回にUPしたY君の話には続きがある。私が声を掛けた後、彼はそのまま市街に出て、デパ地下で偶然にも姉に出会い、いったん親元に帰ることになった。私たちに会わなければ、時間の歯車は少しずれて姉と会うこともなかったろうと思うと不思議である。クリスマスに再び泊まりがけで遊びに来た翌日、祖父が亡くなったという連絡が入った。彼はすぐに親元に戻った。次の日のおくやみ欄には、死亡したのは9日とある。9日といえばY君が、私たちに会い、姉に出会った日だ。報道までにずいぶん日が経っていることが気になった。年が明けて遊びに来たY君の話によると、10年前の祖母の葬儀に際し親子間の諍いがあり、その後は「偏屈だった祖父と父たち兄弟の行き来はなくなっていた」ということだった。たまった新聞を不審に思った配達員の届けで警察が祖父の死亡を確認したのは20日、事件性の調査などもあって葬儀が遅れた。ずれ込んだ年末の葬儀に集まった親族から、Y君は、9日にあまりの偶然の重なった不思議について「おじいさんが、お前に元気を出してほしくて、引き合わせたのだ」との励ましを受けたそうだ。彼の心にどんな変化が起こっているのかは分からない。しかし、単なる偶然と思えない不思議を、彼の成長にも、親族の融和にも生かしてもらいたいと思っている。

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ビッグチャンス

 「シロが死んだ」と、愛犬を喪って気落ちした義母から電話がかかってきた。「それは義父さん、義母さんの寿命に代わってくれたんだよ」と即座に返答した。体の自由が利かなくなってくると、それだけで、老いは悲しさや寂しさを募らせるようだ。
 しかし、考え方の切り替えで人生はどうにでもなると思っている。それは処世術ではなく、「当たり前の考え」として切り替えるべきものだからだ。
 生きにくい世になったと言われるが、今まで経験していない事態に陥っただけのことだとも思う。「財源がない分、権限をくれる」と解せば地方自治には追い風だ。財源は隠れ脂肪から生み出すか、よく噛み砕いて内臓の負担を軽くすれば消化薬剤も買わずに済む。
 高齢化率44%になるという夕張で地域医療再生に取り組む村上医師と、昨年暮れに懇談の場を設けた。「空室の目立つ市営住宅に診療所の専門職員を住まえるように計らってもらえれば、職員一人で住宅一棟の高齢者すべてを日常的に把握でき、医療・介護費用の削減につながる」とか、「札幌や千歳空港に近いということは、医者が通いで来られるという観点から高齢者医療のモデル都市として新たな展開も期待できる」等、次々に『医療行政』の施策提案が述べられた。このような考えは、住宅問題の解決や、新たな研修観光事業とも結びつく『まちづくり』そのものである。進出が予定されている企業の漢方薬栽培農場や豊かな自然環境と絡め、連携すれば、高齢者医療最前線モデル都市としての可能性までが視野に入ってもこよう。スキーに来るお客に医療施設見学を盛り込むツアーがあってもよいではないか。
 かつて、太陽光発電所誘致に至る契機となった、雪のエネルギー利用を提案したり、タイヤの不法投棄に悩む河川管理に、投棄場所をランニングコースにして公園化してしまう提案をしたことがあったが、その意味を自治体はつかみ切れていなかった。従来の考え方や査定に囚われないとはどういうことか。今はまさに、縦割りを切り崩した自治体が先行して、主役の座に躍り出る時代となった。ビッグチャンスに恵まれた時代が到来したのだと確信している。

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生きにくい世の中

 義父母の入退院に一区切りをつけ、妻の実家からの帰宅途上に寄ったスーパーの入り口で、「Y君に似てない?」と突然に妻が言った。Y君とは半年ほど前から行方不明の次男の友人である。消費者金融会社に就職したものの営業成績最下位で精神的に追いつめられ、会社を辞めて札幌で一時アルバイト暮らしをしていたが、そのうち部屋に引きこもるようになり、いつの間にかいなくなった。両親にも、姉にも、友人にも連絡を絶っていた。次男には自殺をほのめかしていたという。すっかり痩せて、もう少し高齢ならばホームレスといってもおかしくない風情の彼を追いかけ、声を掛けた。
「Y君だろう」。数秒間をおいてから「Kのお父さん?」と彼は応えた。
 話しぶりから、あちこちのネットカフェを泊まり歩いていると感じた。このまま放しては不安だったので、次男に連絡をとり、その場で携帯電話を彼に渡した。ぼそぼそと話し始め、「それじゃあ明日な」と言って、つながったままの電話を私に返した。
 必ず来るようにと言い含めた翌日の午前、彼は来た。ぼろぼろの靴が、あてどなく歩いたろう彼の哀れさを語っていた。おそらくは・・、と思って出した遅い朝食を案の定平らげ、間もなくの昼食も皿をなめるようにして食べた。しばし次男の部屋はひっそりしていたが、そのうちいつもの彼の大きな声が聞こえだし、堰を切ったような声は夜遅くまで続いた。
 Y君ほどではないが、次男を訪ねてくる他の友人三人のうち二人も、可哀想なほどのストレスを抱えている。息子は緩衝材の役割を果たしているようで親にとってはそれなりに嬉しくもあるが、その息子もニートの一人である。若者が生きにくい世の中にした正体は何なのか、考えさせられている。

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事業仕分け

 昨日のこと、幼子を抱えた、年収150万円の夫妻の節約生活を紹介する放映があった。家賃は6万円なのに、10万円でやりくりし、2万円を貯金に回し、年に一回は家族で「海外旅行」をしているというのだから驚きだ。ここまでの節約は自分には無理だし、人に強要する気などはもちろんないが、多くの国民が悲鳴を上げている今、老後を「ふつう以上」のレベルで送れるはずの官僚OBに、あまりに手厚い制度は切り込まなければならないとは思う。
 事業仕分けのニュースは、「不都合な真実」を暴かれたくない者と、探り当てたい者との攻防と見ることもできる。国民の税金が、天下り先で官僚OBの高給としてピンハネされていく実態が明らかになり、快刀乱麻を絶つように「廃止」「縮減」と裁断されていくのは爽快だ。事業費中の管理費配分が異常に多かったり、末端受託法人までの、既成システムの必要性を言う割に、お粗末なレベルの成果品しか上がってこない事例も明らかになった。
 確かに、事業の行き着く先の現場からは、仕分け人に非難を向けた声もあがる。まちづくりとか、科学技術、スポーツ、文化振興などには「効果が目に見えにくいが必要な事業」もあるが、事業遂行の途上に絡む、専門性や公益性の名の下に温存したピンハネシステムに快刀を入れることができれば、実施現場で必要となる事業費確保は十分可能だとも思う。初めての仕分け作業故の間違いは当然だ。より高度な政治判断で、元に戻すべきものは戻せばいいだけの話ではないかと思う。
 ここに、会計検査院の機能を強化して、事業そのものの規模や予算細部の妥当性を検証するシステムを付加すればより充実したものとなろう。
 ところで、事業の必要性の検証は、今回のような仕分けシステムだけでは不十分だとも思っている。仕分けの俎上に上がるのは、「机上議論での疑念」が主であり、議論に上がらない無駄も相当あるような気がするからだ。
 例えば、財政破綻した夕張で作成中の再生計画。過疎が進み、分散老朽化した住宅を集約する必要があることは誰でも分かる。どこの公共住宅にも風呂が付いている現代、計画住宅にも当然風呂はつく。それに疑問を起こす人はほとんどいないだろう。ところが、あるケアマネージャーは公営住宅での浴場は無駄と言う。夕張はもともと産炭企業丸抱えの共同浴場が主体の街で、現在の高齢化率44%、公営住宅居住者の大半は高齢者で、入浴は車で送り迎えをしている状況には、共同浴場という「コミュニティー」がますます重要と主張する。「それに、誰にお風呂の掃除をさせるのですか?」と言われると、「なるほど。こういうところは机上の議論ではなかなか見えないよな」と、思わざるを得ない。このような節約の指摘は現場や地方の自立・自律した市民にこそ可能である。
 事業要求とは公共課題の解決のために為される行為に他ならない。公共課題の質的充足には、複合的、広域的、総合的観点からの吟味がなされなければならない。
 夕張市では、財政破綻後、夕張再生市民会議が発足した。会議メンバーに先のケアマネージャーがいたからこそ、再生計画の策定途上に、この見落としそうな無駄が指摘された。
 国費事業も地域で運営が為される以上、そこに住まう、自立・自律した市民の意見を“事業要求に至る前に”十分に聞くべきだと思う。政権交代に伴って最近頻繁に聞こえる地域主権とは、そうした市民の声に十分留意することだと言ってもらわねば、単なる美辞麗句に終わるだろう。

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