2010/01/09 Category : エッセイ ビッグチャンス 「シロが死んだ」と、愛犬を喪って気落ちした義母から電話がかかってきた。「それは義父さん、義母さんの寿命に代わってくれたんだよ」と即座に返答した。体の自由が利かなくなってくると、それだけで、老いは悲しさや寂しさを募らせるようだ。 しかし、考え方の切り替えで人生はどうにでもなると思っている。それは処世術ではなく、「当たり前の考え」として切り替えるべきものだからだ。 生きにくい世になったと言われるが、今まで経験していない事態に陥っただけのことだとも思う。「財源がない分、権限をくれる」と解せば地方自治には追い風だ。財源は隠れ脂肪から生み出すか、よく噛み砕いて内臓の負担を軽くすれば消化薬剤も買わずに済む。 高齢化率44%になるという夕張で地域医療再生に取り組む村上医師と、昨年暮れに懇談の場を設けた。「空室の目立つ市営住宅に診療所の専門職員を住まえるように計らってもらえれば、職員一人で住宅一棟の高齢者すべてを日常的に把握でき、医療・介護費用の削減につながる」とか、「札幌や千歳空港に近いということは、医者が通いで来られるという観点から高齢者医療のモデル都市として新たな展開も期待できる」等、次々に『医療行政』の施策提案が述べられた。このような考えは、住宅問題の解決や、新たな研修観光事業とも結びつく『まちづくり』そのものである。進出が予定されている企業の漢方薬栽培農場や豊かな自然環境と絡め、連携すれば、高齢者医療最前線モデル都市としての可能性までが視野に入ってもこよう。スキーに来るお客に医療施設見学を盛り込むツアーがあってもよいではないか。 かつて、太陽光発電所誘致に至る契機となった、雪のエネルギー利用を提案したり、タイヤの不法投棄に悩む河川管理に、投棄場所をランニングコースにして公園化してしまう提案をしたことがあったが、その意味を自治体はつかみ切れていなかった。従来の考え方や査定に囚われないとはどういうことか。今はまさに、縦割りを切り崩した自治体が先行して、主役の座に躍り出る時代となった。ビッグチャンスに恵まれた時代が到来したのだと確信している。 [1回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword