2009/12/10 Category : エッセイ 生きにくい世の中 義父母の入退院に一区切りをつけ、妻の実家からの帰宅途上に寄ったスーパーの入り口で、「Y君に似てない?」と突然に妻が言った。Y君とは半年ほど前から行方不明の次男の友人である。消費者金融会社に就職したものの営業成績最下位で精神的に追いつめられ、会社を辞めて札幌で一時アルバイト暮らしをしていたが、そのうち部屋に引きこもるようになり、いつの間にかいなくなった。両親にも、姉にも、友人にも連絡を絶っていた。次男には自殺をほのめかしていたという。すっかり痩せて、もう少し高齢ならばホームレスといってもおかしくない風情の彼を追いかけ、声を掛けた。 「Y君だろう」。数秒間をおいてから「Kのお父さん?」と彼は応えた。 話しぶりから、あちこちのネットカフェを泊まり歩いていると感じた。このまま放しては不安だったので、次男に連絡をとり、その場で携帯電話を彼に渡した。ぼそぼそと話し始め、「それじゃあ明日な」と言って、つながったままの電話を私に返した。 必ず来るようにと言い含めた翌日の午前、彼は来た。ぼろぼろの靴が、あてどなく歩いたろう彼の哀れさを語っていた。おそらくは・・、と思って出した遅い朝食を案の定平らげ、間もなくの昼食も皿をなめるようにして食べた。しばし次男の部屋はひっそりしていたが、そのうちいつもの彼の大きな声が聞こえだし、堰を切ったような声は夜遅くまで続いた。 Y君ほどではないが、次男を訪ねてくる他の友人三人のうち二人も、可哀想なほどのストレスを抱えている。息子は緩衝材の役割を果たしているようで親にとってはそれなりに嬉しくもあるが、その息子もニートの一人である。若者が生きにくい世の中にした正体は何なのか、考えさせられている。 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword