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碧濤のひとりごと

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事業仕分け

 昨日のこと、幼子を抱えた、年収150万円の夫妻の節約生活を紹介する放映があった。家賃は6万円なのに、10万円でやりくりし、2万円を貯金に回し、年に一回は家族で「海外旅行」をしているというのだから驚きだ。ここまでの節約は自分には無理だし、人に強要する気などはもちろんないが、多くの国民が悲鳴を上げている今、老後を「ふつう以上」のレベルで送れるはずの官僚OBに、あまりに手厚い制度は切り込まなければならないとは思う。
 事業仕分けのニュースは、「不都合な真実」を暴かれたくない者と、探り当てたい者との攻防と見ることもできる。国民の税金が、天下り先で官僚OBの高給としてピンハネされていく実態が明らかになり、快刀乱麻を絶つように「廃止」「縮減」と裁断されていくのは爽快だ。事業費中の管理費配分が異常に多かったり、末端受託法人までの、既成システムの必要性を言う割に、お粗末なレベルの成果品しか上がってこない事例も明らかになった。
 確かに、事業の行き着く先の現場からは、仕分け人に非難を向けた声もあがる。まちづくりとか、科学技術、スポーツ、文化振興などには「効果が目に見えにくいが必要な事業」もあるが、事業遂行の途上に絡む、専門性や公益性の名の下に温存したピンハネシステムに快刀を入れることができれば、実施現場で必要となる事業費確保は十分可能だとも思う。初めての仕分け作業故の間違いは当然だ。より高度な政治判断で、元に戻すべきものは戻せばいいだけの話ではないかと思う。
 ここに、会計検査院の機能を強化して、事業そのものの規模や予算細部の妥当性を検証するシステムを付加すればより充実したものとなろう。
 ところで、事業の必要性の検証は、今回のような仕分けシステムだけでは不十分だとも思っている。仕分けの俎上に上がるのは、「机上議論での疑念」が主であり、議論に上がらない無駄も相当あるような気がするからだ。
 例えば、財政破綻した夕張で作成中の再生計画。過疎が進み、分散老朽化した住宅を集約する必要があることは誰でも分かる。どこの公共住宅にも風呂が付いている現代、計画住宅にも当然風呂はつく。それに疑問を起こす人はほとんどいないだろう。ところが、あるケアマネージャーは公営住宅での浴場は無駄と言う。夕張はもともと産炭企業丸抱えの共同浴場が主体の街で、現在の高齢化率44%、公営住宅居住者の大半は高齢者で、入浴は車で送り迎えをしている状況には、共同浴場という「コミュニティー」がますます重要と主張する。「それに、誰にお風呂の掃除をさせるのですか?」と言われると、「なるほど。こういうところは机上の議論ではなかなか見えないよな」と、思わざるを得ない。このような節約の指摘は現場や地方の自立・自律した市民にこそ可能である。
 事業要求とは公共課題の解決のために為される行為に他ならない。公共課題の質的充足には、複合的、広域的、総合的観点からの吟味がなされなければならない。
 夕張市では、財政破綻後、夕張再生市民会議が発足した。会議メンバーに先のケアマネージャーがいたからこそ、再生計画の策定途上に、この見落としそうな無駄が指摘された。
 国費事業も地域で運営が為される以上、そこに住まう、自立・自律した市民の意見を“事業要求に至る前に”十分に聞くべきだと思う。政権交代に伴って最近頻繁に聞こえる地域主権とは、そうした市民の声に十分留意することだと言ってもらわねば、単なる美辞麗句に終わるだろう。

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