忍者ブログ

碧濤のひとりごと

Home > ブログ > 記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ボランティア

 講座開始前の雑談の時だった。夕張の現状を報告するため、札幌の市民講座に講師として招いたK女史が言った。「あなたたちに上映していただいた『バークレー市議会』の紹介DVDに刺激されて、みんなが議会傍聴に行くようになったんです」
 ボランティアで2年間夕張に通った私たちの成果は何だったのか、徒労に終わらせない自己満足のための企画講座ではないのか。そんな一抹の疑念を持っていた仲間には大きな力づけとなる言葉だった。議会傍聴に行くようになった夕張市民が、その後の、産廃処分場反対運動を盛り上げるなど、たくましい市民運動への主体となっていったからである。
 ボランティアは「必要性があるかどうか」で行動するのであり、「成果があるかどうか」を見極めて行動するものではない。だからこそ思いがけないつながりや展開を生み、事前には予測不可能な効果をも生んでいく。リスクと利益を秤にのせて決断をする企業とは別の行動原理に基づく活動だ。
 講座に先立つ数日前、礼文島にいる友人から、自分も出品したのでぜひに、との絵画展への案内状が届いた。欄外に、「島では、プロの声優による民話朗読会が開かれます」との添え書きがあった。
 20年前、島の仲間を集めて取り組んだのがその民話の復活だった。明治以来2度の大火があって、島の資料の多くが失われ、散逸した伝説を島外に求めた。数行残るだけのあらすじからイメージを膨らませ、民話集にした。子供たちにふるさと意識を根付かせたいと願う10人ほどの仲間との共同作業だった。
 利尻や稚内の関係者にお会いしたり、札幌出張の度、開拓記念館や赤レンガ文書館などを訪ね、古地図やアイヌ語の調査などをしたものだ。そして完全創作版1話と復活民話3話を合わせて4話を完成させ、巻末には編集経緯や元の伝説も併記した。最初はゼロ査定だった「ふるさと創生基金」の活用を助役に掛け合い、印刷代を得て製本し、全戸に配布できた。
 20年たった今、島の若者はその民話を昔からあったとものとして自然に受け止め、地元の小学校では学芸会の度に上演していると聞いた。当時は夢想だにしなかった広がりに、何とも言えない喜びの念が湧いてくる。
 ボランティアに取り組んでいる人の共通項は「必要性がある、と思った社会活動に参加し、『行動』できるか、それだけかもしれないな」と、ふと思った。

拍手[1回]

PR

総合計画

 道の総合計画「ほっかいどう未来創造プラン」の出前講座があるというので、出席してみた。ビジョンと戦略重視の総合計画で、具体の推進方策は分野別の計画によるという。ビジョンというのに未来を想像できないし、地勢的な北海道の位置づけに触れた戦略性も感じられない、美辞麗句の羅列に過ぎない印象を持った。
 会場からの質問に対する答えをプランの文言で説明するため、参加者も一向に理解が進まない。前々回の新長期総合計画には、戦略プロジェクトという先進性を表(おもて)に出していたから、施策を担当する職員にも対外的な緊張感があったものだ。道民の多くが自信をなくしているように見える時代だからこその「総合計画」であらねばならないと思うが、作成する側の北海道も自信喪失に陥っているのではないかと思われた。
 私も数点指摘した。説明要員の若い職員の未来が可哀想に思ったからでもあるが、戦略重視というなら、戦略らしい視点が大切ではないかと伝えたかったのだ。
 地球温暖化に伴い、北極海航路の商業利用が視野に入っている。ヨーロッパとの物流は、ベーリング海峡を通ることで南回りのスエズ経由に比べ輸送距離は4割減になる。エネルギー資源の大幅な節約にもなる。北米東岸へも現在のパナマ経由に比して大幅な輸送距離が削減できる。そのとき、通り道となる北海道の地勢的なプレゼンスは飛躍的に上がるだろう。苫小牧港湾、新千歳空港の位置づけも変わろう。
 すでに中国は、北極海航路開通に備え、中継地となるアイスランドに港湾建設資金を提供し、大使館を建設するなどしてアイスランドとの関係を強化している。上海~ドイツ・ハンブルク間が、スエズ運河経由の航路より6400キロも短縮できるからだ。
 サハリンの天然ガスも、北朝鮮が崩壊すれば、極めて短時間で釜山までパイプラインでつながると言われている。輸送距離で値段が決まるなら、北海道は一番近い場所にありながら、一番高い天然ガスを買うということになる。北海道の地の利を考えると、北海道サハリン間のパイプラインの実現性については独自にでも調査検討しておく時期ではないのか。
 北海道の「地域主権」、「戦略」をいうなら、計画の是非は別にしろ、そのような議論の場があっていい。次回の総合計画にはそういう視点も盛り込んでほしいものだ。

拍手[4回]

不作為

 3才と1才の幼い姉弟が母親に見棄てられ死亡した。警察や児童相談所に何度か通報がありながら、大阪市は「保護者や児童の氏名や年齢が分からなかった」ので強制立ち入りを実施しなかったという。見棄てたのは、遊びたい思いがまさった23才の母親であったが、行政も一緒に見棄てたに等しいのだ、と言いたい。
 時代とともにますます「責任」の取り方が不明になっている気がしてならない。この種の事件の背景に何があるのだろうか。「もし立ち入り強行して何もなかったらその責任が大きい」と、自己呪縛に陥っているか、「多くの通報にいちいち付き合っていたら日常業務に差し支える」として事件後さえ大して責任を感じないのだとしたら、我が国の未来は更に悲惨な道を歩むだろう。
 強制立ち入りは作為義務ではないからといって、行政の不作為批判を免れることはできない。
 隣近所に聞き「一般社会人の良識として育児放棄があったと推認できる」時点で敢然と強制立ち入りすることを職場一丸の確認事項とすべきである。
 決定権限のある上司の指示を、いたずらに長く待つ必要もない。不作為を誰が止めるか、自分のできる範囲で自分がするしかなかろう。決定できない上司なら、部下は人間としての良心に従えばよいということだ。そのように職場教育しなければならないし、自己鍛錬もしなければならない。
  御身大切、事なかれ主義の結末は自分にかえる。相撲界もそれを教えたではないか。自分でなければ子や孫にかえる。地球温暖化も、財政悪化も、十分にそれを教えているではないか。
 

拍手[7回]

夕張の医療に思う

 医療法人財団「夕張希望の杜」が運営する公設民営の夕張医療センター(市立夕張診療所)。今年4月から常勤医は村上理事長1人のみとなり、3月退職した3人の常勤医師の代わりを非常勤で補っている。
 今年5月中旬に、50歳代男性が自殺を図り、CPA(心肺停止)状態での受け入れを救急隊から要請されたが、村上医師は断った。彼は、ブログの中で次のように述べている。(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/3660)
 「今回、救急搬送の受け入れ要請があった患者さんは心肺停止状態(CPA)でした。患者さんがCPAとなった場合、一刻も早く病院に搬送するというのは正解ですが、設備もスタッフも少ない診療所で対応するのは無理な話です・・・」
 実は、昨年9月末にも、自殺を図ったCPAの中学生の受け入れを断っている。この時は、「縊頸(いっけい=くびつり)」と話す救急隊員の言葉を「胃けいれん」と聞き違えた事務当直が看護婦に伝え、その間違えたままの情報を当直だった村上医師に伝えた。村上医師は、北海道自治体学会主催の討論会で次のようなことを述べながら謝罪し、医療機関として役割に診療所も重ねている。
 「受け入れを断ったのは情報伝達のミスだった。正しく情報が伝われば対応した。万一の場合は、専門医のいる札幌などに行くのではなく、親が心肺蘇生措置をして、救急隊の救命救急士が挿管と除細動と心臓マッサージをし、一番近くの医療機関につなぐのが生存率を一番上げる方法だ・・・」
 今回の受け入れ拒否発言は、常勤一人体制では不可能になった」の意味と理解したい。しかし、受け入れ拒否の報道をめぐる村上医師の飛び跳ねたブログ発言等の影響から、市と村上医師の文書応答が続き、話し合いが持たれないまま、事態はこじれにこじれた。
「・・・2007年4月に公設民営方式の指定管理者として夕張医療センターの運営を開始したのです。指定管理の条件は、夕張市からの資金援助を一切受けないこと、そして19床の有床診療所と40床の老人保健施設を運営することでした。夕張医療センターの本来の仕事は、在宅支援診療所として、120軒の在宅患者さんや40床の老人保健施設、かかりつけの患者さん、委託されている110床の特別養護老人ホームとグループホームを、24時間体制で電話対応も含めてケアすることです。救急医療や在宅医療等は、センターの本来の仕事には全く入っていないのです・・・」 (同上ブログ)
 ほかになり手のなかった指定管理者に手を挙げたのは「夕張希望の杜」だけだったという。彼の夕張での功績は大きいはずだ。彼の目指しているのは、心肺蘇生等の講習を企画したり、検診で保健や健康づくりに市民関心を高めるなどの医療まちづくりなのだろう。市との対立を煽ったり、村上スキームを崩壊させようとする者の存在疑念が本当にあるのだとすれば、医療と行政をつなぐ「市民力」が問われているといえよう。

拍手[2回]

80%の力

 過去のいろいろな失敗を考えてみると、ほとんどが余裕のない中で起きたことではないか、と思い至る。仕事の行き詰まりも、ライフワーク上のスランプも、成就しなかった恋愛だってそうではなかったかとさえ思える。ずっと後になって気づくことなのだろうが、その時点では100%の力を出していて、周りなんかは見(え)てはいなかったのだ。
 本当は80%の力で事に当たり、20%の余力を残しておけば周りが見える。競争相手が100%で向かっているのに、80%では負けてしまうと思うなら、自分が120%以上の力を付けておくしかない。そして、行動するときに20%を抜く。この20%は肩の力というやつである。
 先日、80才を過ぎた高名なM先生を交えた若手学者(と言っても50才過ぎだが)の討論会があった。若手学者の話は、奇を衒ったような造語が随所に出てきて、「俺が、俺が」という自慢話にさえ聞こえ、聞いているこちらの肩に力が入ってしまった。M先生は終始穏やかな話しぶりであったが、話の内容から、すさまじい闘士の時代を経て今があることがしのばれた。話す人が80%の力であれば、聞く人も楽に聞けるものなのだ。もちろんM先生は自然にお話しされているだけかも知れない。私もライフワークは20%の力を抜くことを意識しながらやっているつもりだが、興に乗ってくると周りが見えなくなっている。力が足りない証拠だ。老害にはなりたくないが、生きていれば、このまんまで80才になるんだろうな、と不安と不甲斐なさをちょっぴり思った。

拍手[3回]

PAGE TOP