2010/08/20 Category : エッセイ ボランティア 講座開始前の雑談の時だった。夕張の現状を報告するため、札幌の市民講座に講師として招いたK女史が言った。「あなたたちに上映していただいた『バークレー市議会』の紹介DVDに刺激されて、みんなが議会傍聴に行くようになったんです」 ボランティアで2年間夕張に通った私たちの成果は何だったのか、徒労に終わらせない自己満足のための企画講座ではないのか。そんな一抹の疑念を持っていた仲間には大きな力づけとなる言葉だった。議会傍聴に行くようになった夕張市民が、その後の、産廃処分場反対運動を盛り上げるなど、たくましい市民運動への主体となっていったからである。 ボランティアは「必要性があるかどうか」で行動するのであり、「成果があるかどうか」を見極めて行動するものではない。だからこそ思いがけないつながりや展開を生み、事前には予測不可能な効果をも生んでいく。リスクと利益を秤にのせて決断をする企業とは別の行動原理に基づく活動だ。 講座に先立つ数日前、礼文島にいる友人から、自分も出品したのでぜひに、との絵画展への案内状が届いた。欄外に、「島では、プロの声優による民話朗読会が開かれます」との添え書きがあった。 20年前、島の仲間を集めて取り組んだのがその民話の復活だった。明治以来2度の大火があって、島の資料の多くが失われ、散逸した伝説を島外に求めた。数行残るだけのあらすじからイメージを膨らませ、民話集にした。子供たちにふるさと意識を根付かせたいと願う10人ほどの仲間との共同作業だった。 利尻や稚内の関係者にお会いしたり、札幌出張の度、開拓記念館や赤レンガ文書館などを訪ね、古地図やアイヌ語の調査などをしたものだ。そして完全創作版1話と復活民話3話を合わせて4話を完成させ、巻末には編集経緯や元の伝説も併記した。最初はゼロ査定だった「ふるさと創生基金」の活用を助役に掛け合い、印刷代を得て製本し、全戸に配布できた。 20年たった今、島の若者はその民話を昔からあったとものとして自然に受け止め、地元の小学校では学芸会の度に上演していると聞いた。当時は夢想だにしなかった広がりに、何とも言えない喜びの念が湧いてくる。 ボランティアに取り組んでいる人の共通項は「必要性がある、と思った社会活動に参加し、『行動』できるか、それだけかもしれないな」と、ふと思った。 [1回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword