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碧濤のひとりごと

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不作為

 3才と1才の幼い姉弟が母親に見棄てられ死亡した。警察や児童相談所に何度か通報がありながら、大阪市は「保護者や児童の氏名や年齢が分からなかった」ので強制立ち入りを実施しなかったという。見棄てたのは、遊びたい思いがまさった23才の母親であったが、行政も一緒に見棄てたに等しいのだ、と言いたい。
 時代とともにますます「責任」の取り方が不明になっている気がしてならない。この種の事件の背景に何があるのだろうか。「もし立ち入り強行して何もなかったらその責任が大きい」と、自己呪縛に陥っているか、「多くの通報にいちいち付き合っていたら日常業務に差し支える」として事件後さえ大して責任を感じないのだとしたら、我が国の未来は更に悲惨な道を歩むだろう。
 強制立ち入りは作為義務ではないからといって、行政の不作為批判を免れることはできない。
 隣近所に聞き「一般社会人の良識として育児放棄があったと推認できる」時点で敢然と強制立ち入りすることを職場一丸の確認事項とすべきである。
 決定権限のある上司の指示を、いたずらに長く待つ必要もない。不作為を誰が止めるか、自分のできる範囲で自分がするしかなかろう。決定できない上司なら、部下は人間としての良心に従えばよいということだ。そのように職場教育しなければならないし、自己鍛錬もしなければならない。
  御身大切、事なかれ主義の結末は自分にかえる。相撲界もそれを教えたではないか。自分でなければ子や孫にかえる。地球温暖化も、財政悪化も、十分にそれを教えているではないか。
 

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