忍者ブログ

碧濤のひとりごと

Home > ブログ > 記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

責任不明社会

 NHKで過日放映されたETV特集「放射能汚染地図」は出色だった。責任不明社会の実態を暴き出したように思われたからだ。
 5月2日、福島県の学童の父母たちは、屋外活動を制限する放射線量の基準値である年間20ミリシーベルトの撤回を求めて、霞ヶ関に乗り込んだ。鬼気迫る父母に対し、文科省の原子力安全監は「20ミリシーベルトでいいとは思っていないが、危険とは思わない」と発言した。ところが、原子力安全監の隣席で、文科省が基準を決めるに際し助言を求めたはずの原子力安全委員会の担当者が、「20ミリを基準とすることは認めていない」と明言した。会場はどよめき、何とも言えない表情で、うつむき加減に不思議がる風の安全監の仕草が印象的だったが、5月27日、文科省は20ミリという数値を変えないものの、基準値を実質1ミリシーベルトに戻した。当たり前の状態にするのに何と大きなエネルギーが必要な社会なのか。
 国は、原発事故直後の3/15、原発から20km圏内は「避難地域」、その外側30kmまでを「屋内待避地域」として指定した。30キロ圏のわずか外側に位置する浪江町赤宇木地区は、「避難地域」に相当する高い放射能レベルにあったが、赤宇木の集会所には、原発周辺から避難してきた人たち12人が何も知らされずに暮らしていた。ここが「計画的避難地域」に指定されたのは、4/11、調査に入った科学者から汚染実態を知らされ集会所を去った12日後のことだった。すでに累積被曝量は国が年間限度とした20ミリシーベルトを超えていた。文科省は2号機が爆発した3月15日から、赤宇木地区の線量も把握し、そのデータをホームページに公表していたが、町から避難先の住民に知らされることはなかった。その理由について、町長は、「文科省から正式に知らされた数値情報ではない。(情報提供の)責任の所在が文科省にあるのか、経産省にあるのか、安全保安委員会にあるのか、一元化されていない」とインタビューに答えている。自ら国に問い合わせてでも、住民の安全確保を優先する姿勢でないことに唖然とした。
 唖然としたと言えば、昨日6月5日のニュースで流れた、NHK取材に対する原子力安全委員会斑目委員長の発言もそうだ。(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110605/k10013327651000.html)
 平成2年に原子力安全委員会が改定した「安全設計審査指針」は、「長期間にわたる全交流電源喪失は、非常用電源の修復が期待できるので、考慮する必要はない」と記述されている。班目委員長は言う。
 「長期間の電源喪失なんてわざわざ考えなくていい、なんて書いてますよね。私も本当にうっかりしてましたけれども・・・あまりにもこれに目を背けすぎていた。」
 「・・・原子力村って言い方、あんまり好きじゃないんですけども、自由闊達な議論というのが、この原子力の世界の中で行われてなかった、ということも非常に大きな問題だと思ってます。津波が大きいのが来たんだからこれは天災ですね、と言われたら、私は絶対ノーです。これは人災です・・・」
 広い地域と、大勢の人たちに、これから何十年も続くであろう苦渋の未来を強いたのは誰か。「うっかり」「目を背けすぎていた」「自由闊達な議論がなかった」「人災です」という責任はどこにあると彼は考えているのだろうか。彼が何と答えようが、「私は絶対ノーです」と聞こえそうな気はするが。

拍手[2回]

PR

夕張問題と原発事故

 夕張に石炭の露頭が発見されたのは明治21年というから120前のことだ。記録されている死亡事故は、明治41年から昭和60年までの78年間に計12回、ほとんどはガス、炭塵の爆発である。犠牲者は累計1737人。単純平均すると、6.5年に1回事故が起き、1回あたり145人の犠牲者が出たことになる。毎年22人の犠牲者が出続けた計算だ。
 これだけの事故を前提に炭鉱街が成り立っていたのだとすると、犠牲者に対する慰霊の市民感情も並々ならないものであったろう。まして、火災延焼防止名目で、注水され、遺体を地底に置きざりにされた家族の悲しみはいっそう深かったに違いない。
 炭鉱から観光への御旗の下につくられたレジャー施設さえも過去の遺物となったが、施設敷地の下には坑道が走り、密閉された坑口は、草枯れの時期、施設跡の周縁にひっそりと姿を見せる。坑口の奥には、水没を余儀なくされた多くの御霊が今も眠るが、そのことに思いを馳せる市民はいかばかりいるのであろうか。炭鉱会社はつぶれ、地元自治体は財政破綻し、公的機関が慰霊に向かい合うことさえ忘れ去っているような現状を、人知れず建てられた卒塔婆と、時に、誰か訪れたらしい供物の痕跡が物語る。
 地下の御霊の上に未来を築く意味を、破綻に至る歴史とともに受け止めない限り、まち再生の未来志向も付け焼き刃になると心すべきだろう。
 海江田経産相は、東京電力の役員報酬について、「一部の首脳は50%カットで3600万円くらい。ちょっとおかしいので、もっと努力してほしい」と言ったという。競合する相手のない企業役員の報酬が、トヨタなど熾烈な競争に生きる世界的企業の役員報酬より多いとは異常だ。高い報酬に軽い責任感、産官蜜月産業は推して知るべしの、おかしな日本社会になったものだが、それを許してきたのは、また、国民であるともいえる。産官一体で周到に用意されたような、ぬるま湯に入れられているうちに、我々もすっかり呆けてしまったのかもしれない。
 すでに日本の人口は減少ラインに入っている。2035年には、今より1600万人、北海道3つ分の人口が消えることになる。高齢者は逆に今より1千万人増える。これから四半世紀の間のことだ。
 高齢者は、若者世代に比べて流行を追うことも少なく、車やパソコン、携帯電話の買い換えスピードも落ちるだろう。電気自動車の普及で、バッテリーに夜間電力を蓄え、昼間の電気消費量も減るに違いない。国民の大量消費を期待できる時代は終えているといえよう。
 多くの高齢者と少ない若者が共存する少量消費社会を前提にするのか、産業維持のため、安価な外国労働者を受け入れてでも、生産維持の道を選ぶのか、そう遠くない先の社会像が見えてこない。これまでの四半世紀の間に、政治家も使命感や責任感は色あせて、未来を示せない状態に陥ってしまったかのようだ。
 今回の原発事故は、国民一人一人に、近未来への今を生きる我々全体の責任を問うている。夕張財政破綻と原発事故は、同じ原因から生まれた別の事象に過ぎないように感じられる。

拍手[2回]

自治の力

 「虎は死して皮を残し人は死して名を残す」と親の世代からはよく聞かされたが、「死して汚名を残す」政治家、官僚、経済人の原発マフィアに、学者や報道陣までが組まれてはたまらない。事故直後の最悪シナリオを知る立場にいた彼らの親族が、もし福島原発周辺に住んでいたのなら、どこに、いつ避難したのだろうかと、下衆な憶測が脳裏をよぎる。
 統一地方選挙で、いくつかの公開討論に立ち会ったが、これからの自治体の首長や議員に求められるのは、巷に溢れるデータの意味するところを読み解く力ではないか、との思いがますます強くなった。
 為政者が意図的に流さない情報も、市民はインターネット経由で手に入れることができる時代だ。偽情報も含む多くの情報から自分なりに正しい現実を読み取る力が要求されよう。
 福島原発事故の政府対応を見ていると、「自治体の自治は自治体が決める」という当たり前のことを、強く意識させられる。
 将来のガン患者の発生、未来を見通せない避難された方々の苦悩、放射能まみれの現場最前線に働く人々の悲壮感を思うと、国の中でも原子力安全委員会の責任は極めて大きい。22日の参院予算委員会で、「(原発設計の)想定について世界的に見直しがなされなければならない。原子力を推進してきた者の一人として、個人的には謝罪する気持ちはある」と原子力安全委員長は述べた。昔の日本人ならば、「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」で切腹するか、問答無用で暗殺されかねない事件であろう。専門家に何度も指摘を受けながら、原発施設の設計基準の不備を放置してきた当事者としては、余りに軽い反省の弁ではないのか。
 そんな中に、綺麗な心を持った芸能人もいたんだな、と思わせてくれたのは、キャンディーズのスーチャンこと、田中好子さんの旅立ちだった。
 告別式で流された、死を目前にした肉声のメッセージは、東日本大震災犠牲者への哀悼の気持ちや、死してなお社会に役立ちたいという思いに溢れたものだった。天使のような彼女の短いメッセージは、被災者の多くの心に響き、そして癒したに違いない。キャンディーズの「やさしい悪魔」の唄に心を許しても、「やましい」悪魔の手に未来を委ねてはならない。自治の力が試されている。

拍手[2回]

情報公開と自主避難

 11日、枝野官房長官は、年間20ミリシーベルトを超えると予想される地域を新たに、「計画的避難区域」とし、これまで安全と思われた30キロ圏外の一部自治体をこれに含めた。
 福島第一原発から30㌔圏内で、「屋内退避指示」に指定されていた自治体の多くは「緊急時避難準備区域」に変更された。
 事故直後に原発施設から同心円状に危険区域を指定するのはやむを得ないと理解できたが、その後1週間、2週間と経つうちに、風向きや、放射性物質の飛散情報提供が無いことを不思議に思った人は多いだろう。
 台風予報も、あくまで予報であり、「備えたが来なかったので損害を補償せよ」と言われることはない。備えるかどうかは「自主」の判断である。
 危険区域の指定は分かるし、避難指示も分かるが、国民が「自主」判断できる材料をほしがるのは自然の流れだ。
 もともと20ミリシーベルトとは、職業的に被曝量が厳格に管理された放射線に携わる人を対象にした値という。一般人は1ミリシーベルトという基準だったが、今回の事故で準用するという。この一月間ですでに累積20ミリシーベルトを超えた地域が20㌔圏外の浪江町の数カ所で確認された。100ミリシーベルトになると千人のうち5人にガンが発生するといわれる量である。
 どんな意図か、誰の指示によるのか、3/18付けで気象学会理事長から学会会員宛に「・・・当学会の気象学・大気科学の関係者が不確実性を伴う情報を提供、あるいは不用意に一般に伝わりかねない手段で交換することは、徒に国の防災対策に関する情報等を混乱させることになりかねません・・・」の文書が流れていた。気象庁からの風向き情報も出されず、風による飛散情報は、海外からの情報によって知るほどであった。
 菅首相が昨日12日の記者会見で「・・・原子力事故が起きて知ったことで、何かそういう事実関係で情報を表に出さないようにとか、隠すようにと言ったことは何一つありません・・・」と言った。それが本当ならば、「由らしむべし、知らしむべからず」は誰の指示によるのか。
 まちづくりに熱心なものにとって、情報公開とは、出された情報の意味を知らせることも含むが、基礎自治体のリーダー達には、出された情報の意味を読み解く能力も必要とされる。
 「緊急時避難準備区域」からの脱出について、今後どう判断するのか、年15ミリシーベルトなら安全か?それが仮に2年続く時はどう考えるか。住民に説明するのは、国ばかりではあるまい。何年も被曝するとなれば、ふるさとを離れる決意も出てくるし、その準備もあろう。それは決して不安を煽るということではない。
 「直ちに健康に影響を及ぼすものではない」と引き延ばされるより、「累積線量は○○シーベルトです。統計的には千人に1人の割合でガンが増えるくらいの危険性です。」と情報提供される方が、私なら自主避難を「自主的」に決めることができ、ずっと安心できる。国が言わないのであれば基礎自治体が言うしかあるまい。補償云々はそれとは別個に考えるしかない。まずは幼児や妊婦など弱者の生命を護ることである。

拍手[2回]

絵空事

 首相がこう言ったとしたら、という絵空事ではある。
 「今回の放射能対応が一段落したら、脱原発に向けてエネルギー政策を見直します」
 政官界、企業からの猛反発はあろうが、日本全体が、風力やバイオマスなど安全エネルギーによる、小規模分散型の電力供給体制に大転換していくことを宣言するのである。
 同時に「反対する議員は抵抗勢力だ」と言い、「抵抗勢力は公認しない」として、解散総選挙に至るのである・・・そんな空想が頭をよぎる。
 今回の原発事故までは、八戸などの限定的な実証研究をもって、我が国も多様なエネルギーに積極的に取り組んでいる、かのように見えた。しかし、今回の事故は、安全なエネルギー供給体制への早急な転換こそが未来の日本に対する、現在に生きる我々の責務だと教えたのではなかろうか。
 戦後のエネルギー不足を補う「原子力平和利用」に、それ以外の意図がどこまであったかは知らない。しかし、国会議員、高級官僚、原発関連企業を含む原発推進集団は、いつの間にか国民の安全を犠牲にして、自ら肥え太ることのみに関心を向けてきたようだ。スマトラ沖の大津波と同様の危険性が指摘されながら、何も為されなかったことがそれを語る。
 原発に限らず、新たな仕組みは、どんな高邁な理想を掲げようと、そこに忍び寄る様々な悪魔のごとき権益によってやがて汚されていくということなのかもしれない。真実を見抜くものは除外され、不正をあばくものは抹殺され、国民の大多数をまやかしの体制に埋没させる。
 今回の事故を教訓として、国民は、政府がいかに情報を(その持つ意味も含めて)隠したがるかを知り、国の名の下で官僚達がつくった安全基準が、安全でなかったことを知り、社会的責任を自認する大企業が、関連企業と称する「下請け会社」をどう扱っていたかも知った。
 そして、同時に、多くの国民が温かい思いやりの心に溢れているのかを知った。
 統一地方選挙が始まる。未来をつくるのは、国ではない。官僚でも大企業でもない。市、町、村という基礎自治体を構成する住民が、自らの安全を自ら守るという視点から、まやかしを見抜く代表者を選ぶことである。その代表者が住民とともに基礎自治体を変え、地方政府を変え、中央政府を変える力になっていく。それは絵空事ではない。

拍手[3回]

PAGE TOP