2011/04/01 Category : エッセイ 絵空事 首相がこう言ったとしたら、という絵空事ではある。 「今回の放射能対応が一段落したら、脱原発に向けてエネルギー政策を見直します」 政官界、企業からの猛反発はあろうが、日本全体が、風力やバイオマスなど安全エネルギーによる、小規模分散型の電力供給体制に大転換していくことを宣言するのである。 同時に「反対する議員は抵抗勢力だ」と言い、「抵抗勢力は公認しない」として、解散総選挙に至るのである・・・そんな空想が頭をよぎる。 今回の原発事故までは、八戸などの限定的な実証研究をもって、我が国も多様なエネルギーに積極的に取り組んでいる、かのように見えた。しかし、今回の事故は、安全なエネルギー供給体制への早急な転換こそが未来の日本に対する、現在に生きる我々の責務だと教えたのではなかろうか。 戦後のエネルギー不足を補う「原子力平和利用」に、それ以外の意図がどこまであったかは知らない。しかし、国会議員、高級官僚、原発関連企業を含む原発推進集団は、いつの間にか国民の安全を犠牲にして、自ら肥え太ることのみに関心を向けてきたようだ。スマトラ沖の大津波と同様の危険性が指摘されながら、何も為されなかったことがそれを語る。 原発に限らず、新たな仕組みは、どんな高邁な理想を掲げようと、そこに忍び寄る様々な悪魔のごとき権益によってやがて汚されていくということなのかもしれない。真実を見抜くものは除外され、不正をあばくものは抹殺され、国民の大多数をまやかしの体制に埋没させる。 今回の事故を教訓として、国民は、政府がいかに情報を(その持つ意味も含めて)隠したがるかを知り、国の名の下で官僚達がつくった安全基準が、安全でなかったことを知り、社会的責任を自認する大企業が、関連企業と称する「下請け会社」をどう扱っていたかも知った。 そして、同時に、多くの国民が温かい思いやりの心に溢れているのかを知った。 統一地方選挙が始まる。未来をつくるのは、国ではない。官僚でも大企業でもない。市、町、村という基礎自治体を構成する住民が、自らの安全を自ら守るという視点から、まやかしを見抜く代表者を選ぶことである。その代表者が住民とともに基礎自治体を変え、地方政府を変え、中央政府を変える力になっていく。それは絵空事ではない。 [3回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword