2011/06/06 Category : エッセイ 責任不明社会 NHKで過日放映されたETV特集「放射能汚染地図」は出色だった。責任不明社会の実態を暴き出したように思われたからだ。 5月2日、福島県の学童の父母たちは、屋外活動を制限する放射線量の基準値である年間20ミリシーベルトの撤回を求めて、霞ヶ関に乗り込んだ。鬼気迫る父母に対し、文科省の原子力安全監は「20ミリシーベルトでいいとは思っていないが、危険とは思わない」と発言した。ところが、原子力安全監の隣席で、文科省が基準を決めるに際し助言を求めたはずの原子力安全委員会の担当者が、「20ミリを基準とすることは認めていない」と明言した。会場はどよめき、何とも言えない表情で、うつむき加減に不思議がる風の安全監の仕草が印象的だったが、5月27日、文科省は20ミリという数値を変えないものの、基準値を実質1ミリシーベルトに戻した。当たり前の状態にするのに何と大きなエネルギーが必要な社会なのか。 国は、原発事故直後の3/15、原発から20km圏内は「避難地域」、その外側30kmまでを「屋内待避地域」として指定した。30キロ圏のわずか外側に位置する浪江町赤宇木地区は、「避難地域」に相当する高い放射能レベルにあったが、赤宇木の集会所には、原発周辺から避難してきた人たち12人が何も知らされずに暮らしていた。ここが「計画的避難地域」に指定されたのは、4/11、調査に入った科学者から汚染実態を知らされ集会所を去った12日後のことだった。すでに累積被曝量は国が年間限度とした20ミリシーベルトを超えていた。文科省は2号機が爆発した3月15日から、赤宇木地区の線量も把握し、そのデータをホームページに公表していたが、町から避難先の住民に知らされることはなかった。その理由について、町長は、「文科省から正式に知らされた数値情報ではない。(情報提供の)責任の所在が文科省にあるのか、経産省にあるのか、安全保安委員会にあるのか、一元化されていない」とインタビューに答えている。自ら国に問い合わせてでも、住民の安全確保を優先する姿勢でないことに唖然とした。 唖然としたと言えば、昨日6月5日のニュースで流れた、NHK取材に対する原子力安全委員会斑目委員長の発言もそうだ。(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110605/k10013327651000.html) 平成2年に原子力安全委員会が改定した「安全設計審査指針」は、「長期間にわたる全交流電源喪失は、非常用電源の修復が期待できるので、考慮する必要はない」と記述されている。班目委員長は言う。 「長期間の電源喪失なんてわざわざ考えなくていい、なんて書いてますよね。私も本当にうっかりしてましたけれども・・・あまりにもこれに目を背けすぎていた。」 「・・・原子力村って言い方、あんまり好きじゃないんですけども、自由闊達な議論というのが、この原子力の世界の中で行われてなかった、ということも非常に大きな問題だと思ってます。津波が大きいのが来たんだからこれは天災ですね、と言われたら、私は絶対ノーです。これは人災です・・・」 広い地域と、大勢の人たちに、これから何十年も続くであろう苦渋の未来を強いたのは誰か。「うっかり」「目を背けすぎていた」「自由闊達な議論がなかった」「人災です」という責任はどこにあると彼は考えているのだろうか。彼が何と答えようが、「私は絶対ノーです」と聞こえそうな気はするが。 [2回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword