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碧濤のひとりごと

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夕張問題と原発事故

 夕張に石炭の露頭が発見されたのは明治21年というから120前のことだ。記録されている死亡事故は、明治41年から昭和60年までの78年間に計12回、ほとんどはガス、炭塵の爆発である。犠牲者は累計1737人。単純平均すると、6.5年に1回事故が起き、1回あたり145人の犠牲者が出たことになる。毎年22人の犠牲者が出続けた計算だ。
 これだけの事故を前提に炭鉱街が成り立っていたのだとすると、犠牲者に対する慰霊の市民感情も並々ならないものであったろう。まして、火災延焼防止名目で、注水され、遺体を地底に置きざりにされた家族の悲しみはいっそう深かったに違いない。
 炭鉱から観光への御旗の下につくられたレジャー施設さえも過去の遺物となったが、施設敷地の下には坑道が走り、密閉された坑口は、草枯れの時期、施設跡の周縁にひっそりと姿を見せる。坑口の奥には、水没を余儀なくされた多くの御霊が今も眠るが、そのことに思いを馳せる市民はいかばかりいるのであろうか。炭鉱会社はつぶれ、地元自治体は財政破綻し、公的機関が慰霊に向かい合うことさえ忘れ去っているような現状を、人知れず建てられた卒塔婆と、時に、誰か訪れたらしい供物の痕跡が物語る。
 地下の御霊の上に未来を築く意味を、破綻に至る歴史とともに受け止めない限り、まち再生の未来志向も付け焼き刃になると心すべきだろう。
 海江田経産相は、東京電力の役員報酬について、「一部の首脳は50%カットで3600万円くらい。ちょっとおかしいので、もっと努力してほしい」と言ったという。競合する相手のない企業役員の報酬が、トヨタなど熾烈な競争に生きる世界的企業の役員報酬より多いとは異常だ。高い報酬に軽い責任感、産官蜜月産業は推して知るべしの、おかしな日本社会になったものだが、それを許してきたのは、また、国民であるともいえる。産官一体で周到に用意されたような、ぬるま湯に入れられているうちに、我々もすっかり呆けてしまったのかもしれない。
 すでに日本の人口は減少ラインに入っている。2035年には、今より1600万人、北海道3つ分の人口が消えることになる。高齢者は逆に今より1千万人増える。これから四半世紀の間のことだ。
 高齢者は、若者世代に比べて流行を追うことも少なく、車やパソコン、携帯電話の買い換えスピードも落ちるだろう。電気自動車の普及で、バッテリーに夜間電力を蓄え、昼間の電気消費量も減るに違いない。国民の大量消費を期待できる時代は終えているといえよう。
 多くの高齢者と少ない若者が共存する少量消費社会を前提にするのか、産業維持のため、安価な外国労働者を受け入れてでも、生産維持の道を選ぶのか、そう遠くない先の社会像が見えてこない。これまでの四半世紀の間に、政治家も使命感や責任感は色あせて、未来を示せない状態に陥ってしまったかのようだ。
 今回の原発事故は、国民一人一人に、近未来への今を生きる我々全体の責任を問うている。夕張財政破綻と原発事故は、同じ原因から生まれた別の事象に過ぎないように感じられる。

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