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碧濤のひとりごと

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貧者の兵器

 NHKスペシャル「貧者の兵器とロボット兵器」を見た。
 アフガニスタンに配備された飛行ロボット兵器「プレデター」が、1万2千キロ離れた米国ネバダ州のクリーチ空軍基地で操縦され、タリバン『らしき』貧者たちを攻撃する。貧者と富者の戦争は、人間対ロボットの戦争でもあった。飛行ロボットの操作訓練は、空軍士官学校の教育プログラムに組み込まれ、「訓練」を受ける軍幹部予備生たちは、「ゲーム感覚」で「安心な戦争」に馴らされていくかのようだ。彼らの「楽しい」と話す笑顔が、彼らに成り済ましている悪魔のように思えた。
 逆説的ではあるが、生身で殺し合うからこそ、戦争の悲惨さが認識され、戦争を起こさないシステムの構築を願う人たちの力になってきたはずだ。
 直接、間接を問わず戦争の原因は貧困にあろう。工業化が進行しても、人間の精神性が高まるわけではないが、教育という「栄養」はいずれ貧困を救い、争いを防ぐ効果は持つはずだ。先進国の富は、貧しい国への教育投資にこそ、もっと回されるべきではないか、と思う。
 今現地では、タリバンとは無関係の、貧しい子供たちが食物に釣られ洗脳され、あるいは誘拐後麻薬漬けにされ、自爆テロ用の人間爆弾として、多くの一般人を巻き込んで『殺され』ている。
 1980年代、ロシアのアフガニスタン侵攻を阻止するため、自ら持ち込んだ武器と、自ら教えた爆弾戦法によって苦しめられているアメリカ。教育投資で戦争終結を早めるより、多くのアフガニスタン一般人を巻き込んでも、自国軍需産業を優先させているように映るが、その巨額の費用を注ぎ込むロボット兵器や技術アイデアが貧者側に渡ることはないと誰が言えようか。
 我が国において、多くの自治体で議会と執行部と市民との競合が起きていることも、国家間対立と無関係ではない気がする。
 客観的事実が知らされぬまま、物言わぬ思惑が少しずつ世の中を席巻し、物言えぬ世の中に変貌しつつあるような社会への恐れを、市民が敏感に感じだしているように思えるからである。

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強制起訴議決

 検察審査会は、1948年(昭和23年)に制定された検察審査会法によって開かれるようになり、2009年5月に検察審査会の議決が法的拘束力を持つようになったが、拘束力を持つまでは、あまり多くの人には知られていなかった制度ではないか。
 これまで、 検察審査会が起訴にした事例として、2001年7月の、死者11人、負傷者247人を出した明石花火大会歩道橋事故と、2005年4月の、死者107人、負傷者562人をだしたJR福知山線脱線事故があり、明石花火大会歩道橋事故では、明石警察署の元副署長が強制的に起訴されることとなった。
 小沢民主党元幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件では、検察の1回目の不起訴処分に、検察審査会は全会一致で「起訴相当」を議決し、2回の目の不起訴処分には、メンバーを全く入れ替えたにも関わらず、11人中8人が不起訴を不当として検察判断が覆され強制的に起訴が議決された。
 有罪との心証を持っていても、「裁判で勝てる証拠」がなければ、起訴を断念するのが検察の立場であろうと思う。しかし、市民感覚は、“心証”有罪であれば、“結果”無罪になろうとも、裁判という、「最後まで審議を尽くす公開の場」を求めるのではなかろうか。
 「素人が検察の判断を超えられるのか」といった反論も出されているが、最近は、警察、検察、裁判所など社会正義の為にあるはずの組織の信頼性が揺らいでいるではないか。検察審査会の議決が法的拘束力を持ったことは、「市民が市民を守る」仕組みとして、一般良識人の支持を得るところであろうと納得している。

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巡視船衝突事故報道

 尖閣諸島の中国漁船による巡視船衝突事故(事件)について政府の対応が不甲斐なく映っている。しかし連日のテレビ放映も、不測の事態への不安ばかりを煽るかのようで、本来、我が国の領土であると主張する根拠についての報道が少なすぎる気がしている。
 尖閣諸島についての我が国の基本見解は文末に示すように極めて明瞭であるが、おそらくは、その「常識」は、国民の多くが曖昧な理解のままにいるのが現実だろう。
 「常識」という「情報」の「丁寧な解説」も国内報道の使命ではないのか、と思う。衝突ビデオを後生大事にしまい込んでいる間に、外国の報道も「中国からの“圧力”に日本が屈した」とされてしまったが、中国の“傲慢”が道理を覆って、単なる“圧力”として世界に報道されたのは、我が国の報道姿勢にも原因があるのではないか。つまり、海外メディア担当者を通じ、海外視聴者は日本イメージを形作っていくのだろうから、国内報道のあり方は、外交戦略上からも重要課題ではないのか、ということである。
 「毅然とした態度で対応」と言うのであれば、正しい知識や歴史経緯を世界中の人に知らしめ、紛争相手国への牽制状態を確固たるものとしておくことが重要だろう。その前提があって、はじめて、紛争相手国からの武力行使も制御できようし、国際道徳にかなう解決への合意を見出していくことができるのではないのか。帝国日本への警戒が近隣諸国の日本観であればこそ、専守防衛を標榜する民主国日本は戦略的情報外交を意識すべきではないか。そうでなければ、中国からの謝罪、賠償請求の報道も、中国国内報道と大差ない国内ポピュリズムを助長するだけのものとなろう。
 事件直後、北京の日本大使館前のデモ隊はせいぜい100人規模だったそうだから、反日感情を煽らなければならないほど中国国内の社会的歪みも増大しているのだと見ることもできよう。そう見るだけでは楽観的過ぎようが、多くの人に中国産品購入は避けたいと思わせる事件にだけはなったのではないか。


尖閣諸島の領有権についての基本見解(外務省HPより
 尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。
 同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。 従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。
 なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです。 また、従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません。

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ルワンダ講演会

 似たような娯楽番組や、芸能人ゴシップはどの局でもしつこいほど放映するのに、肝心の事件のその後は意外と知らされないままにいると再認識した。
 ツチ族とフツ族の民族対立で国民の10人に1人が殺されたと言われたルワンダ。映画「ホテル・ルワンダ」が話題になったことくらいの記憶しかなくなっていた。内戦後に死刑が廃止され、国会議員の半数が女性になっていると教えてくれたT女史が、ルワンダ出身のマリールイズさんの講演会を企画したので出席した。
 もともと言葉も文化も一緒だった人たちを、ドイツ、ベルギーによる植民地政策の都合から、民族に色分けされたルワンダ。鼻の幅とか牛を持っているとか適当な基準で少数のツチをつくりだし、多数のフツを支配する体制をつくった。1962年に独立後、フツによる反ツチ色がどんどん強まり、周辺国に逃れたツチはルワンダ愛国戦線を組織し、政府との内戦が90年以降特に激しくなっていく。戦局の膠着から、94年、ルワンダ帰還を目指す彼らと政府の間に和平協定が結ばれたが、帰途についたルワンダ大統領の飛行機が何者かによってミサイル攻撃され、直後、ツチと穏健派フツに対する、過激派フツによる虐殺がわずか100日間でなされた。死者は80万人とも100万人ともいわれるが、その間、国連は何ら有効な手を打つことはなかった。
 マリールイズさんは、JICAの支援でルワンダに来ていた日本人に6年間洋裁を学び、その縁で日本留学の機会を得た。年寄りでも読み書きできる日本の教育水準の高さに感激しながら留学を終えて、帰国した2ヶ月後、大量虐殺事件に遭遇した。内戦下を4人の子供を連れて逃げ、難民キャンプ生活を体験し、数々の奇跡によって日本と再びつながったが、奇跡を可能にしたのが教育であったと述懐する。今ルワンダでは、死刑は廃止され、レイプが最高の終身刑となった。国会議員の1/3以上は女性であることが憲法に規定され、女性議員は52%を占めているという。戦争の原因には貧困故に疎かになってしまう教育の欠如があると、彼女は、助かった命を祖国の学校建設、教育振興の使命に燃えて走り回る。http://www.rwanda-npo.org/
 我が国での戦争体験風化を憂う声はあるが、ルワンダばかりでなく、今現に起きている、イラク、アフガン、パレスチナなどの戦下の生活を正確に伝えることは、そのまま65年前の日本国民の心情に近づくことではないかと思える。そう考えれば、行く先を見失っている若者に、再興に臨んだ当時の日本人の幾ばくかの光をあてることもできようし、自治体の責務も、国際化時代の日本の役割もずっと明確になってきそうな気がする。「そうだよね。そうできたらいいね」と誰もが言うだろう。しかし、その役割は、誰がどう担うべきなのだろうか。そのことこそが、まさに今、問われている時なのかもしれない。

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JUSTICE

 ハーバード大学マイケル・サンデル教授の公開講座「JUSTICE」が人気だそうである。身近な難問を題材に「正義」を論じる授業で、NHK教育テレビで「ハーバード白熱教室」として放映された。今朝のニュースで、東大安田講堂で開催された公開講座の様子が一部(全体放映は10月31日の予定)紹介され、断片ではあったが考えさせられた。
 「わずか点数が足りなくて、東大を落ちた学生の親が、40億円を大学に寄付するから子供を合格にしてほしい」という状況が設定される。大学施設の充実に40億円は魅力だ。「厳格な試験なのだから、合格を認めるわけにはいかない」との会場意見は最初大勢だったが、教授のコメントでぐらつき出していく。そして、「東大生の親は高収入が多く、受験前に置かれた子供の勉学条件が公平でないのだから、合格点数だけを絶対視するのはどうか」、という会場意見が出てくる。「正義」とは何か。会場を思索の空気が包み、理性と道徳の葛藤の世界に引き込んでいく...。
 来年度、夕張に応援で派遣されていた職員の内9人は派遣を切りあげられる。ことし3月策定した再生計画では、退職者の半数程度しか新採用を認めないことになっている。来年は2人退職だそうだから1人の採用しか認めないということになる。市は採用計画を変更し6人程度採用したい意向だが、道は「国の理解は得にくい」として、職員派遣を市長会に再要請する方向でいきたいという。
 再生計画にいう借金の完済予定は17年後だ。今43才以上の職員はみな定年でいない。人口推計には生活苦から“逃げ出す”人口は考慮されないから、推計以上の人口減少は、再生計画の更なる遅延を招く恐れもある。
 生活保護世帯並みの給与では、市職員募集に対し応募がどれほどあるか疑問だが、仮にあったにしても必要な職員の半分しか補充できないのだから、道庁からの派遣はその再生後さえ引き続きなされなければならない。真の再生はあり得るのか。何より本当の債務者は誰なのか、の疑念は残ったままだ。
 国・道・市を主催者として、無理なら、国・道は来賓でもいい。夕張の再生問題も同じように公開講座「正義(JUSTICE)」として考えてみたいものだ。

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