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碧濤のひとりごと

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99%層からの力

 いつもは適当なところで妥協してしまう私だが、今回の原発事故だけは何とも腹立ちが収まらない。「人災」だと認識する人が圧倒的に多いのに、責任の所在があいまいなままだからだ。犯罪性について検証、追求する報道も少ない気がするし、「被災者の救済、復興が一番」式の問題のすり替えにマスコミも手を貸しているように見える。しかし、このまま再稼働に向かい、何事もなかったように表面上平穏な日常に戻ることは許されない。我々には次世代に対する責任があるからだ。
 「人災は刑事事件」として検察庁も動かねばならないだろう。しかし、厚生労働省の村木厚子さんを罪人に仕立てた大阪地検の例もあるから、ひょっとして大罪人を野放しにするのではないかと一抹の不安が心の片隅に残る。組織が巨大すぎて手を出せないというなら法治国家は破滅だ。
 政界も政局のみが関心事で、「原発に頼らない日本の未来設計」についての議論は乏しい。阪神大震災のあとに建設された神戸空港のように、今回も、市民の手の届かないところで、巨大プロジェクトが復興の名の下で進められるだろう。高度成長期後の恒常的な税収不足や年金・医療制度の崩壊が指摘されたまま現在に至らしめた政治が、今は若者の未来さえを奪っている。30年後に生きている世代の価値観こそを未来設計に生かすべきなのに、10年後生きているか怪しい人がそれを左右する。
 これらの根底には、様々な利権によって成り立っている社会構造があり、つまるところは、それを許してきた政治に対する無関心国民層の厚さがあるように思われる。
 「愚かな大衆には国策を議論させない」とばかりに進めてきた官僚主導型政策が、公共課題の噴出する現代に対応できなくなっていることは、今回の原発事故の始末が端的に示している。大衆を市民へと昇華し、市民が決定に参加した政策ならば、結果がうまくいかないにしてもそれなりに諦めがつく。未来の構想は市民に委ねられるべき時代だ。
 「由らしむためには知らしむべし」なのだとの思いが募る。「由らしむべし知らしむべからず」の社会構造が残れるのは、おごれる1%の権力者たちに立ち向かう99%層からの力が足りないからだ。次世代の命がかかっている問題を責任を問われない権力者たちに託すことはできない。
 インターネット時代とはいえ、真実を発見するには時間も手間もかかっているのが現状である。知ろうと思えば、真実に容易に近づけるような情報社会の“あり方”も問われる。無関心を乗り越える民主政治に何が必要なのか、考えさせられている。

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