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碧濤のひとりごと

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「無行動」という敵

 5月5日の子どもの日に、泊原発3号機が定期検査のために休止し、全国50機の原発全てが停止状態になった。本当に「子どもの日」を考えるなら、このまま原発から決別できないものか、と思う。
 電力会社にとっては、原発事故の危険性より、施設の資産価値(使用済み核燃料も再処理可能だから資産)が大事らしい。総括原価方式とやらで資産に定率を乗じたものが事業報酬となるから資産の半分を占める原発施設を関電は手放せない。5月3日のモーニングバード(テレビ朝日)は、事ここに至っても正常な人間の思考に戻れない電力会社の現実を教えてくれた。
http://www.dailymotion.com/video/xqjuay_20120503ayyyyyyyyyyyyyyyy_news?start=8
http://www.dailymotion.com/video/xqjubw_20120503byyyyyyyyyyyyyy_news 
 だから、電力確保や節電要請に向けて必死に動く訳でもなく、電力不足の不安をあおり国民をだまし続ける。
 現在の我が国には何か共通して足りないものがある。金か?金が回れば全てがうまく動き出すのか?否、我が国に一番足りないのは「宗教心」ではないのか、そんなことを思う。特に政・産・官・学のトップ集団に宗教心が足りない。利権優先社会でトップにのぼりつめるには宗教心は邪魔なのかもしれない。宗教心の足りない者が集まると組織は容易に非人道化する。私のいう宗教心とは思いやりの心である。
 昨年ブータン国王御夫妻が訪日され被災者を見舞われた。経済的富によらないブータンの国民総幸福という指標に心ひかれた人も多かったと思う。何かしら心ひかれるということ自体が宗教心の現れではないか。
 利権集団と戦うにも宗教心が必要な気がする。ブータンに心ひかれても、原発事故に対し「無行動」でいるのは、「無関心」とさほど違いはない。「無関心」は宗教心の最大の敵ではあるが、「無行動」も結果的に利権集団に協力していることにさえなってしまうからだ。
 だから宗教心には具体行動が必要だ。たとえば原発三大メーカーの製品は買わないとか、我が家のオール電化を見合わせるとか、夜間電力を蓄電し昼に回すとか、家庭の照明をLEDに替えるとかできることはある。金がないなら、署名協力するとか、真実を伝えるインターネットサイトを教えるとか、それなりの行動もある。
 少なくとも、団塊世代には、自分にできる何らかの行動を起こしてほしいと思う。利権集団とは無関係だと叫んでも、私たち団塊世代あたりが「飽食時代」の<恩恵>を<貪った>世代なのは間違いないのだから。

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