2013/03/14 Category : エッセイ 政治責任 一万人に一人程度が自動車事故で死ぬというが、我々はそれを受容しているから、車社会が成り立っていられる。物品購入も職業選択も、<+>と<->の可能性を秤にかけて判断し、一喜一憂しながら結果を受容し人は生きている。経済社会は<+>と<->、<便益>と<リスク>の折り合いの総体によって成り立っているのだとずっと思ってきたが、リスク(-)も限度を越えると「秤にかけてはならない」と思わされたのが、3・11原発事故だった。原発事故は便益をはるかに超え、未来さえも飲み込んで取り返しのつかないような禍を及ぼした。 安倍首相は、2月の施政方針演説で「安全が確認された原発は再稼働する」と言った。しかし、<絶対に安全>はないから<安全が確認された原発>にも事故は起こりえる。だから「脱原発政策を見直す」という選択肢はあり得ないはずだ。国民の7割が経済政策等に期待して新政権を支持しているというが、同じく7割が生命倫理から脱原発を言うのである。脱原発は、産業振興に優先する現実課題であろう。確かにこの20年、経済停滞下の日本丸は、荒波にもまれ上下するだけの大船で、どこに進もうとしているのかが見えなかったように思う。今もそれは続くが、新しいエネルギー革命で別の展開が生まれようとしている。 ここ数年でアメリカ、カナダのシェールガス、オイルは商用段階に入り、天然ガスの寿命は400年延びるとも言われている。我が国でも年間ガス使用量の100倍はあるという近海メタンハイドレートからのガスの試験生産にも成功した。アメリカから日本へのシェールガス輸出も時間の問題で、輸入ガス価格は3割減少するとの試算もある。エネルギーをめぐる世界の力関係は大幅に変わり、我が国の価格交渉力も増すであろう。掘削機器、圧力容器、水処理などの関連技術では世界を席巻する日本。波及効果は鉄鋼、運輸、観光など隅々に及び、原子力に頼らなくても未来を展望できる時代が訪れようとしているかに見える。 そんな折、中国覇権をおそれるあまりか、防衛上の後盾であるアメリカの利権集団に屈してか、主権を売り渡すようなTPP交渉参加を決めるらしい。何だか、更なる新自由主義の荒波に日本丸を投げだし、アメリカの植民地という海に沈没させかねないように思える。 政党政治がなすべきは、拙速なTPP交渉参加ではなく、まずは日本丸をどこに進めようとしているのかを示すことであり、国民の理解を得ることだ。経済大国となっても幸福感と結びつかないのは、国民の価値観や地域文化に裏打ちされた国のありようを軽視し過ぎたからではないのか。日本には日本らしい未来づくりがある。進む先に希望があるなら国民は困難にも耐えていこう。それは、隣国に向けても、友好国に向けても発しなければならないメッセージの、政治責任であると思える。 [2回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword