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碧濤のひとりごと

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権力と責任

 「ホーネッカーの寓話」を精華大学の秦暉教授が雑誌「世界」(岩波書店2月号)で紹介している。浅学の頭には以下のようなことと読みとれた。
 ・・・ベルリンの壁崩壊を東独権力が武力阻止したと仮定し、その後、東独が政治的に経済開放を進めて西側の資本を導入すれば、東独の低価格商品が西側を席巻するようになり、西ドイツは失業危機となる。それは、東独の搾取工場が西独の福祉国家を打ち負かすことであり、17世紀の資本主義が20世紀の資本主義を打ち負かすことであり、「独裁資本主義」が「民主社会主義」を打ち負かすことになる。現在の中国を東独、日本を含む先進諸国を西独として重ねると、グローバル化の結果、今世界で起こっている様々な問題が、それぞれ単独の国では解決できない問題としてはっきり認識されてくるだろう・・・というもの。
 グローバル化に抱いていた直感的な不安を明かされたようで、思い描く未来への、何十枚も重なった曇りガラスの一枚が取り払われた気がした。
 貿易のグローバル化は資本や金融のグローバル化を求め、そのシステムが整備される過程で富の偏在を加速したように思える。自由と福祉を求める裏側には、公害や戦争という負の遺産も発生する。庶民への恩恵は喧伝され、被害は過小あるいは秘密裏に報告・処理され、政治と産業の結託、国際競争の利権の渦に、多くの庶民は翻弄されるものだ。
 「日本が危ない方向に進みつつあるのではないか」、と遅ればせながら思ったのは2010年9月の尖閣諸島沖中国漁船衝突事件であった。ネットに流れ出た動画が「国家秘密」に値するほどのものか、多くの国民が疑念を持ったろう。現行法制で情報漏洩は対処できるというのに、「秘密保全法」を制定しようとする動きになった。その半年後に起きた原発事故では原因、経緯の多くが不明のまま2年が経とうとしている。人災といわれるのに責任をとった関係者はいない。
 中国からの粒子状物質PM2.5は話題になるが、復興地の課題、放射能汚染の現状や、海外に及ぼした影響の報道はあまりに少ない。社会が複雑に絡みあう時代だからこそ、関係国の主張やその背景も含め、情報はもっと公開しなければならないと思うが、大切な情報が国民からあまりに遠い気がする。かつて、権力と闘うイメージで見ていたマスコミには、「どうなってしまったの」と聞きたいくらいだ。
 一部の者だけで秘密裏に進められるシステムとは、裏返せば、<権力の拡大>を意味しよう。責任をとれない社会には<権力の制限>をこそ加えるべきではないのか。何が日本のためになり、何が国民を不幸にするのか。不況脱却の裏側で進められようとしていることを凝視していかねばならない。

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