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碧濤のひとりごと

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豊かな社会をイメージできるか

 今から20年くらい前までのサハリンは、ソビエト崩壊直後の余韻が至る所に残り、まるで、経済戦勝国日本から経済敗戦国ソビエトに立ち入ったような錯覚をおぼえたものだ。
 第二次大戦後サハリンに取り残された日本人に「経済的に豊かな社会になることは、心も豊かな社会になるということ、ではないのですか?」と聞かれて、高度成長がもたらす不安と、社会幸福のありようを再確認したくて日本からやって来た理由を、当時は理解してはもらえなかった。それは、腹一杯食べて成人病に罹り、強制的に治療するため痩せた土地に来た贅沢人の戯言のようにしか思われなかったに違いないと、今なら思う。
 しかし、その後も日本は、人間の価値を市場即戦力で判断し続け、それを支援する制度で社会を運営する道を選んだ。結果、社会的弱者を圧迫しつつ人心相互を隔てて、殺伐とした社会に更に踏み込んだような気がする。
 規制緩和の名の下で、労働者派遣法は非正規雇用を一気に進め、現在、労働者の3人に1人、高校を出て就職したくても80%は非正規雇用といわれる。賃金の低い非正規雇用の若者は欲しいものを我慢し、消費活動に積極的参加はしない。高齢者は小金があっても老い先が心配で金を使わない。規制緩和は一部大企業に利して内部留保を増やしただけに見える。扇情的、劇場型スローガンに国民の多くがだまされた結果が「今」ではないのか、と思える。
 経済優先社会とは、そんな側面を持つのであろうとの疑念が消えぬまま、わたしも、今に至ってはいるが、東日本大震災と原発事故後、普通の<暮らし人>に、一条ならぬ光も見ている。暴徒と化すことなく現地で声を挙げ呼応し助け合う人々、声なき全国の支援者に対してである。そこに、世界に抜きん出た日本人の特質、文化的絆社会が生きていると感じる。日本全体で見れば、決して少なくないその人たちの声を汲み上げる政治が「市民政治」だと思ってもいる。
 私の産業グローバル化のイメージは、小さな町工場が世界の市場につながるようなグローバル化である。さらに言えば、日本が目指すべきは、偉大な中小企業大国であり、他国に秀でた技術と製品で競争を生き、収益を会社拡大ではなく、社員の雇用優先と社会に還元する、節操のある「ほどほど社会」である。グローバル化に縁遠いものは、地域内で1次、2次、3次産業の循環に組み込まれた6次産業社会を構成すればよいと思える。
  今、50基の原発のうちただ2基が動いているだけだが、48基が動かなくて停電が起きているわけでもない。<原発でつくった電気>という<汚染商品>を要らない、買いたくないと言う国民が7割以上いるというのに、その<汚染商品>を作り続け、無理強いする企業が存続するのはおかしい。
 処理に成功しない核ゴミを再生可能な資源と言い続ける、ほんの一握りの利権集団のために、何千万人の国民の命が危険にさらされている。日米原子力協定が切れる2018年も近い。米国との信頼関係を損なうことなく原発ゼロ日本の筋道を描く時期に来ていると思える。政治家は未来にどんな日本をイメージしているのであろうか。

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