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碧濤のひとりごと

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足利事件に学ぶ

 人は間違いを犯す。 1990年に足利市で起きた女児殺害事件、いわゆる「足利事件」は、DNA鑑定を有力な根拠に、菅家さんを殺人犯とし、2000年に無期懲役刑が確定した。DNA鑑定は、90年当時は、千人から一人を特定する位の精度しかなかったが、03年には1千万人に一人、現在では、地球上の一人を特定できるまでになっているという。02年にはDNA不一致を新証拠に菅家さんは再審請求をしたが、08年宇都宮地裁(池本寿美子裁判長)は、被告側証拠を「本人のものと特定できない」として認めず、独自にDNA再鑑定をすることもなく、再審請求を棄却した。誤っているおそれの大きい旧DNA鑑定を、誤るはずのない精度の新DNA鑑定に優先させたのである。
 即時抗告を受けた東京高裁の“職権”で、ようやく再鑑定を実施し、女児付着のDNAは別人のものと“当然”認められ、昨日6月4日、17年ぶりに菅家さんは釈放された。
 裁判所とは、客観的な事実を審理してより間違いのないように公平に見る場所だ。低い証拠能力しか持たないことが明らかな昔の科学データに固執した宇都宮地裁の判断の背後に、国家権力への自己呪縛さえ感じる。最後のより所としての裁判所の長に自己保身があってはならない。
 職権という形でしか、間違いを訂正できないのだとしたら、逆に言うと個人の裁量でどうにでもなるのなら、法治国家とは言えない。権威という名の下で行われる暴挙に対抗するのは、市民力しかない。不断の情報公開と、社会的な関心を持つグループの成長が市民社会を支えていくのだと思う。足利事件を大きな教訓として受け止めたい。

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