2009/05/10 Category : エッセイ さくら 静内の二十間道路の桜並木は有名ですが、有名になりすぎて“見るだけ”になってしまいました。“呑みながら”見たい地元人は葉桜になってからという、何とも物足りないものです。 浦河町西舎の桜はその静内からも、盛りの花見に来るくらいですから、穴場(写真)といえるでしょう。人も車もほどほど、二線級歌手の歌謡ショーなどもあって宴は和気あいあいに、一日がゆっくりと流れていきます。 桜と言えば、25年ほど前の進藤一馬福岡市長のエピソードは有名です。道路拡張のため、桜並木が切り払われることを惜しんだ住民が桜木に和歌を掲げたという記事が新聞に載るや、多くの人たちがその後に続き、ついに工事が変更されて桜は残されました。その歌の中に、「桜花惜しむ 大和心のうるわしや とわに匂わん 花の心は 香瑞麻」。香瑞麻は「かずま」、市長の雅号でもあったというもの。 規制緩和のしわ寄せか、新自由主義の末路かは知れないけれど、弱いものばかりにしわ寄せがくるようなギスギスした世情故に、なおさら今、大和心が必要な気がします。もてはやされると本質から離れがちになるもの、有名にはならないに限るということですかね。 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword