2009/06/12 Category : エッセイ 潜在下の世界 先日、ハワイ在住版画家で環境活動家でもある小田まゆみさんのトークショーがあった。トークショーの話題提供者の中に、脳障害女児を持つMさんがいた。彼女は長男の添い寝をしている時「次の子どもは障害児だがそれでも産むか」という男の声をはっきり聴き、実在感のある気配が恐ろしくて、目を開けることも返事をすることもできなかった、と話しはじめた。不思議な体験であり記録として書き残そうかと思ったが、“現実”になるのが怖く止めたという。忙しい暮らしの中でそんな体験のあったこともすっかり忘れて日は過ぎ、女児出産後1年を経過して、診察を受けた医者から障害児と宣告された。嘆き悲しむ日々の中に、あの奇妙な体験を忽然と思い出し、それをきっかけにどん底のトンネルを抜け出たという。 彼女の話を聞きながら、人の能力の不思議を思った。昔、比叡山の「千日回峰行」を紹介するテレビで、天台宗大阿闍梨となった酒井雄哉老師が、「線香の灰が崩れ落ちる時の“ゴトッ”と言う音が聞こえる」と修行途上の出来事を語ったシーンが印象に残る。昨年だったか、上空から見たままの都市の風景を、まるで脳に写った映像を再現するように、細密に紙に描いていく自閉症の人がテレビ放映されたことがあった。一芸に秀でた人の逸話には常人の想像を越えるこの種の話は多い。 Mさんは「私は信仰に熱心なわけでもなく、それまで神秘的な体験をしたこともない普通の人間です」と話されていたが、私は信仰とは別の観点から『宿った子どもの異常に潜在下の母性が気づき、天の言葉として顕在化させたのだろう』と常人なりの理解をした。 普段は意識しない潜在下の「我」は、知っていると思いこんでいる「自分」というものの何十倍も広い世界なのではなかろうか。 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword