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碧濤のひとりごと

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豊かな暮らしとは

 モノが余るほどになっている今の世の中で、経済成長とはどういうことだろうか、と思う。あと二、三十年もすれば人口が1割減り、老人ばかりが増え、新しいモノに対する興味は薄れて、買い換えるスピードも購入量も減ると思われる。そんな社会で、生産はどこに向かうのか。
 私の経済成長イメージは、「必要以上のモデルチェンジで買い替えさせるシステム」だったような気がしてならない。
 過日のこと、パソコンのモニター画面が時々消えるようになりそのうち真っ黒になった。数年使った後だから、「買い替えようか」とも思ったが、別のパソコンから故障の症状を検索条件にして調べると、この機種に特徴の故障で、モニター内部のコンデンサーが老朽化している可能性があった。
 コンデンサーを取り替えるとか、モニターを分解するということは、私にとっては、「壊す」ことを意味する先入観がある。機械に詳しい友人に経緯を話し、検索結果のサイトも知らせて、ともかく、「壊れても良いから、コンデンサーだけ取り替えてみたい」と話した。
 「試行する価値はある」と笑われながら、材料代100円にもならないコンデンサーを買い、内部で幾分膨れていた、それとおぼしきコンデンサーを1個取り替えてもらったら、直ってしまった。数万円のモニター購入が十円程度のコンデンサーとお礼の晩飯の提供だけで済んだ。
 その時、思った。たった、これだけのことを、全部品丸ごと新品にさせ、買わせるシステムを豊かな社会というのはおかしいと。確かに買い替えねばならない場合も多かろうが、この例のように、ちょっとの手直しで寿命を延ばせるものも多いはずだ。そのような手段が、生産システムや社会システムに組み込まれていないのでは、豊かな暮らしとは言えないのではないのか。
 木の成長が遅い北欧では、木造住宅は、しっかりしたものを作り、それを末永く使う。傷ついた壁や床の表面は削ることでリニューアルする。 かつての日本社会は電気屋も時計屋もそのように機能していた。今も、洋服や鞄など大事に使う人と、大事に使ってほしい職人さん達がいて、修繕するシステムは生き残っている。一方、省電力という言葉で、電化製品は大型化し、省電力にならない。経済成長のそんな面も考え合わせて、来し方を見直し、消費文化のありようを再考したいものだ。買い替えるスピードが落ちてもそれで社会が循環するシステムこそ、成熟社会だ。原子力発電所は必要か、一人一人に問われている時が、今のような気がする。 

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