2011/09/16 Category : エッセイ 古賀氏の辞職に思う 人口が減り、高齢者が増えるということは、生産人口が減り、年金人口が増えるということだから、税収が伸びなければ、年金額を下げるか、税率を上げるか、借金するかしかないだろう。 しかし、行政内部には丹念に見ていくと、削減できる経費山積みの事業がある。ただ、そこには<族>がへばりついて手を入れさせようとはしないだけだ。今回、公務員制度改革や、電力産業界再編を主張していた、経産省の古賀茂明氏が辞職し(させられ)た。 彼のような正義感溢れる官僚が、国民目線で政治を動かすことを嫌う、産と結びついた官僚出身の政治家が幅をきかしている今の政界。古賀氏にはぜひに政治の舞台に躍り出て彼らと闘って欲しいと思う。 私腹のための権謀術数はぶつかり合うが、責任はいつも回避されるのが腹立たしい。潔よさ、清々しさを感じさせる指導者があまりに少ないのが悲しい。 江戸時代の中期、幕府は木曽川の治水工事を関ヶ原の合戦で敵方であった薩摩藩に命じた。工事費は薩摩藩持ち。無理な幕命に服従するしかなかった薩摩藩は、家老平田靭負(ゆきえ)以下900数十名を美濃に送る。工事の終わり頃には人頭税7倍、船税50倍、藩士の給与は大幅に引き下げられ、平田始め60数名は、たださえ苦しかった藩の財政に負担を掛けた責任をとって自刃する。現代からすれば、責任なき責任を命で償ったのであるが、今も、「薩摩義士伝」として地元に語り継がれている。 世のため、人のため、という<志>が政治家、公務員選択の動機であるべきだが、いったん政産官の癒着構造に染まると、その甘い蜜の魅力に自己浄化能力はなくなってしまう。定年まで勤めればそれなりの退職金と年金が保証されている公務員だが、能力への自己過信が、より高い報酬への誘惑を絶ちがたくする。官僚が考え出した、退職後の受け皿やシステムは、津々浦々に蔓延り、「特別の知見が不可欠」とか、「競争になじまない」とかの理屈で民間参入を排除している。そういう職場を渡り歩いて億単位の退職金を手にする者もいる。その原資は国民からの血税である。裕福な生涯を送る職業に、公務員を選択されてはたまらない。官僚に現代的義士、つまり高潔な志と責任の取り方のできる人材が少なすぎるように見えてならない。 内在しているはずの彼らが出現しにくい状況を生んでいるのは、族主導システムに違いない。それを壊すには、責任の所在が明確な行政システムの構築こそが必要だ。情報公開はその有効な手立てだ。 早期に放射性物質飛散予想を示さなかった責任、放射性物質の基準値を引き上げた責任、不測の混乱を言う前に、国民生命を優先させなかった政治責任は残る。これらが明かされないまま、日本が沈没していくのではないかと心痛い。古賀氏を活用できなかった民主党政権にむなしさを感じている。 [1回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword