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碧濤のひとりごと

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記憶の欠落

 小学生当時住んでいた辺りは、毎年、墓参りの度に通るせいか、沿道の住宅が建て替わっても、幼い記憶は道なりに重なっていた。だから、少しでも記憶があれば、どこでもその辺りに行けば忘れていることも蘇るかと思っていた。しかし、記憶は欠落するものらしい。
 25歳の頃の一年間、私は奈良の西大寺から徒歩15分ほどの、道の両脇に水田が広がる一角に住んでいた。先日、京都へ行く機会があり、空いた時間、37年ぶりに周辺を歩いてみた。水田は住宅街に変わっていた。
 京都の工事現場まで電車で通っていたそのころ、夜遅くまで開いていた駅前のよろず屋で晩飯のおかずを買い、寺の外壁周りに、銀木犀の甘い香りを楽しんで帰途についた。建物は替わっても、辿る道沿いに薄れた記憶がよみがえると思ったが、古代壁画のように、微かな色の断片がたまに認められるだけで記憶はつながらない。西大寺境内の様子も鮮やかに残る記憶とは違っていた。いつの間にか、記憶は変質もしていたのだ。
 住まい近くに菅原神社があった。有名な神社ではあるが、それさえ微かな記憶以上に出ない。神社前にトタン板に古い住居図の描かれた看板があった。当時のアパート名が消えかけたペンキ跡から判読できた。ふと、「確かな記憶なんてないのではないか」と思った。
 翌日は京都南禅寺に出向いた。奈良に住む一年前はそこの工事現場だった。気温38度が一週間続いた夏だった。北海道育ちの自分には初めて体験する暑さで、毎日コーラをがぶ飲みしていた。寝泊まりもした印象深いところ故、すぐ分かる気がしていたが、記憶にある場所を特定することはできなかった。
 あっという間に三十数年が過ぎた気がするが、記憶が欠落することを考えると、ずいぶん長い期間が経っているとも言える。
 西大寺から記憶を辿って歩く途中、不意に水田のウシガエルの声が思い出され、当時引きずっていた辛い恋まで鮮やかに蘇った。しかし、それさえも、欠落し変質した記憶の断片に過ぎなのかも知れないと、いま思う。

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