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碧濤のひとりごと

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腹立ちと贖罪

 原発関連のニュースにふれるごとに、無責任層が社会のトップに居座り、良識層が社会の隅に追いやられている気がして腹立ちが募る。腹を立てているばかりの自分の不甲斐なさにも腹が立つ。後世に対する責任として、我々世代が今をどう動いているのか、講演会への出席や、原発反対署名はするが、それ位しかしていないではないかという腹立ちである。
 今や社会のトップは我々と同じ戦後世代だ。子ども時代の日本の貧しさをおぼえてはいても、高度成長期の波に乗って、身分不相応な遊びもできた世代だ。派遣会社もなく、まじめなら正職員として働く場はどこかにあり、今から見れば「夢を持てる時代」に生きた世代だ。
 70年代は、社会的格差の悲惨さなどを真剣に考えたこともなかったし、高齢化や環境保全への未来不安にまじめに向き合ったこともない。社会悪の多くは金の力で押し込めていたようにも思う。そんな時代を許し、生きたツケが今来ているともいえる。
 増長した権力者はやりたい放題で悪行は全般化し、社会階層の隅々にはびこって見える。原発事故被災者を粗末に扱いながら、何億円という退職金を平然と受け取る東電社長に批判が少ないのは、マスコミも含め権力層の多くが一般市民の感覚を失っているからと見ても、大きな間違いはないだろう。公開が原則の原子力情報を黒塗りで「公開」と称し、利害関係者の弁済義務は国民にツケ回し、国民の健康より経済混乱を恐れ、法的許容値を何十倍にも引き上げて「直ちに影響はない」と言う社会がそれを語るようだ。外国からはどう見えるのか。
http://www.youtube.com/watch?v=kH00psyB4lc&feature=player_embedded
 世界から笑いものの日本に対する評価をかろうじて支えているのは、産官権力集団ではなく、町工場の職人のような一般市民だ。サッカーでも、災害救助隊でも、海外協力隊でもみな普通の暮らし人だ。その後ろに辛い日々を送る、声を出せない普通の若者が何百万人と続く。
 腐敗とは放っておくと正常部分さえも侵し、移り、広がるものだ。腐りきらないうちに、普通の若者が社会参画し、自分の将来を設計できるシステムが必要だ。いま動き出さなければ、悔いを残す人生になりそうな気がする。若者世代に対し、贖罪の念が高まるのを感じる日々である。

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