2013/10/29 Category : エッセイ 社会還元 産業革命以降の技術革新で、人類の生活レベルは格段に底上げしたが、それと引き換えに、環境汚染は現在、地球規模といわれる段階に進んでいる。 グローバル化に伴う弊害は、途上国での富の偏在を促進し、資源争奪抗争をエスカレートさせ、平穏を保っていた部族間、あるいは途上国間を戦争に駆り立て、多くの難民を産み出してもいる。 環境汚染も資源争奪戦争もグルーバル化が助長している側面は大きいはずだが、一度手にした生活レベルの魔力に、弊害は矮小化され、先進国の多くの人は何事もないかのように日々を過ごして見える。しかし、このままでは、事態はさらに悪化するとの危機感を持つ人々も増えていて、そこに未来へのかすかな希望がつながっている。 暮らしが便利になったといっても、底辺層の苦しみが除かれたわけではない。100年前の先進国、例えば英国においては、人口の2%を占める金持ち層が、国の富の72%を有していたというが、今や格差は世界中に広がって、世界人口の1%が個人総資産の40%を所有しているという。 それでも、キリスト教社会には、大金持ちは社会に富の一部(と言っても相当な額)を寄付する社会貢献への道徳観念が根付いていて、それなりに社会還元する伝統は今に受け継がれているように思える。 一方、我が国はどうか。暴力団への融資を知っていて知らんぷりを決め込んだ、みずほ銀行の役員達の報酬に驚いた。社長ともなれば年間報酬額は1億円を超えるという。このような金持ち連中は、個人として、どんな社会貢献、社会還元をしているのだろうか、と思う。直接審査する立場にない信販会社を通じた融資での事件だから「半年無報酬」の責任の取り方で妥当と判断したのだろうが、負の波及効果は庶民の不祥事とは比べものにならない。報酬は社会的責任の大きさと無関係ではないはずだ。「半年無報酬」程度の責任の取り方で済むはずはない。「隠すべき事案が残っているから辞めないのではないか」と勘ぐりたくもなる。 全部とは言わないが、東電やみずほ役員のような巨大企業のトップに居座る、このような人たちが、強欲に惹かれてか、日本を貶(おとし)めている。 グルーバル社会の激変に翻弄される庶民は多いが、それでも多くはまだ健全な精神の持ち主である。海外で活躍し、世界から尊敬を受ける日本人も多い。昔の金持ちは神社仏閣の建設資金などを出したり、優秀な人材を書生として面倒を見たりもした。しかし、この100年、日本巨大企業のトップの価値観は、確実に変貌し日本的道義感覚も奪い去られていくかのようだ。 日本を牽引する企業役員たちに、「個人として、大震災被災者に、どんな応援をしているのですか」、「収入はどれくらい社会還元していますか」と、下衆の勘ぐりを承知で聞いてみたい気がする。 [7回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword