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碧濤のひとりごと

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最低限の責任

 300人以上の死者を出したのは「軽はずみ」な発言のせいだとして、予知に失敗したイタリアの地震学者が「禁固刑」を課された。
 地震予知は不可能に近いともいう。専門家といわれる社会的地位のある人たちの「軽はずみ」な発言は、影響の大きさからも避けるべきなのは当然だ。「専門家は誰も発言しなくなる」と判決を批判するのではなく、学識経験者たちは、これを他山の石とすべきである。
 原発事故後の我が国にも、社会的地位のある人たちに無責任な発言、厚顔無恥ぶりが目立つ。以下のようなニュースが本当だとしたら、限定的にしか報道されない今の社会も不気味だ。
 9月5日の東京新聞によると、川崎市の小学校給食で、放射性セシウムを含む冷凍ミカンやリンゴ缶詰めを使うことについて、市長は「危険の中で生活していることを子供たちが知ることが大事だ」と語ったという。
 「一般食品」に含まれる放射性セシウム基準値は、4月以前の5分の1、1キログラム当たり100ベクレルに改定されたが、この値は、IAEA(国際原子力機関)で「放射性セシウム濃度が1キログラムあたり100ベクレルを越える場合<低レベル放射性廃棄物>として厳重な管理を行わなければならない」とされている境界値である。
 食材は基準値以下であり、その食材のみを食べ続けるわけではないから、「心配ない」と言う人もいるが、ホットスポットは至る所にあり、知らずに累積被ばくの危険性もある。食材以外にも、水や舞い上がるほこり、吸い込む空気からも被爆を受けるのだ。被ばく量には障害を引き起こす限界値(しきい値)がないから、累計値が高まれば危険性はそれだけ増す。今は潜在化していても、被ばく症状はそのうち顕在化してこよう。基準値を下回ってさえいればいいのではない。大人も子供も一緒の基準値だからこそ、大きく影響を受ける子供が食べるものは、汚染されていない食材を選択するに越したことはない。子供の被ばくには安全な基準値はないと考えるべきだ。
 市長は「このレベルでビクビクする教育をすることが間違い」とし、「道路では、すれ違った人に刺される可能性もある。だから人とすれ違うな、と教育しますか?」と発言したという。回避できる汚染食材を、回避できない突発事件と同じ秤にのせて議論はできまい。
 現今の無責任社会では、今後増えるであろう被ばく患者の救済に対しても無力であろう。「原発放射能と特定できない」、「食材のせいとは言えない」と責任回避されるだろうことは、容易に想像がつく。
 ならば、少なくとも、管理できる学校給食くらいは、細心の心配りで原発事故以前の摂取量に抑えるべきだ。それは、子供たちに対する、大人の最低限の責任であろう。

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