2009/09/24 Category : エッセイ 政権交代 ソビエト連邦が崩壊して間もない1992年にサハリンを訪ねたことがあった。現地へのおみやげには100円ライターやボールペンがまだ喜ばれた時代だった。煤けた町なかの公衆電話はコードが引きちぎられ、煙草を吸う10歳前後の子供たちが街中に目立っていた。通訳から「国がしっかりしないのでこうなった」と聞かされ、教育やしつけに言及しないことに、日露の文化の違いを感じたものだ。しかし、当時の日本が今の状況なら「日本も同じようなものですよ」と言っていただろう、と思う。結局、高度成長の行き着いた先は、金が意志を持ったような新自由主義社会という、中身が空洞の巨像(虚像)社会だったのではないか。生産に非効率な人間は不良部品としてはじかれ、はじかれたものがニートやフリーターとなって映る。 人の価値は生産効率の尺度では測られない。多様なものを受け入れている自然界。ヒトも多様であるからこそ文化が育まれる。国立民族博物館の元館長梅棹忠夫氏は「文明は腹の足しになるもの、文化は心の足しになるもの」と言った。「経済が豊かになれば、心も豊かになるのではないですか」。サハリンを訪ねた時、私たちの訪問理由を尋ねた残留日本人の言葉が思い出される。サブプライムローンに端を発した不況突入は、権益に連なる偽善者をあぶり出す副次効果ももたらした。経済繁栄の陰で失ったものをどうやって取り戻すのか。政権交代が日本人の英知の選択であることを願っている。 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword