録画しておいた映画「ノーマ・レイ」を見た。紡績工場に勤める女工ノーマが、全米繊維組合から派遣された活動家ルーベンに感化され、労働運動に関わりながら、次第に自立した女性へと成長を遂げ、同時にノーマを通じて労働者たちも目覚めていく、という作品だ。
経営者からの搾取に無関心で、団結が反政府活動のように思いこんでいる紡績工場の労働者が、何となく旧来の夕張市民に重なる。
しかし、今、政治的関心もなく、行政にも受け身で、ただの住民の一人として暮らしてきた人たちが、絞り出すように声を上げ始めている。
夕張に関わった記録を残そうとの仲間の提案を受けた直後に、ダム計画を中止させた徳島県木頭村の例を取り上げた報道があった。
2000年11月、建設省は、徳島県那賀川上流の木頭村(今は那賀町)、に計画されていた細川内(ほそごうち)ダム計画の中止を発表した。高度成長期、林業で栄えた木頭村も、後継者問題や輸入材に押され疲弊し、人口は2千人足らずとなる。ダムを作れば国から巨額の金が入る。建設計画から30年、ダムをめぐる利害の対立は、親子、親族を巻き込み、信頼の厚かった助役が自ら命を絶つという悲劇も生んだ。
しかし村は、自然豊かな郷土を守るため、ダムに頼らない“まちづくり”を選んだ。村長の強力なリーダーシップとダム建設反対住民の結束で国は建設計画を撤回した。村は山の湧き水や、特産の柚子を活用した多様な地域特産品をつくり、全国に販路を広げていく。96年の設立当初、資金不足や宣伝不足、販売力不足で抱えた3億円の負債と約4千万円の累積赤字、社員を10人に半減しても、赤字が減らず、元本保証のない社債まで募集したという第3セクター「きとうむら」は、村長に協力する理解者によって、困難を乗り越える。2002年には地域住民に株のほとんどを譲渡し、「地域民セクター」となり、株の85%を地域住民が保有し、以来黒字が続く。「千匹の羊より一頭のライオンが必要だった」との木頭村関係者のメッセージは、夕張のリーダーの条件に重なって聞こえた。
勝手な想像である・・・。いま、夕張市役所の職員の20%が外部からの応援部隊である。このまま手をこまねいていれば、夕張という自治体は消えて北海道の直轄地となるか、人口減による負担増の平準化のため償還期間が更に延びて自治体行政は崩壊に近い打撃を受けるだろう。賃金の3割カットが続けば新職員応募は当分期待できないから、道からの派遣は更に増えるし、償還を終えたころは、生え抜きの今の若手職員さえ大方定年、またはそれに近い年齢となっているだろう。債務償還後に急に増える新人職員だけでは行政は機能しないから、結局北海道は応援派遣を継続しなければならず、道が負担する人件費用は莫大なものとなるだろう。その人件費は本来道行政のためのものだから、北海道の損失は計算上は割り増して計算しなければならない。これは、自治体が残る前提での話だが、それでも結局自治体が消滅するとなれば、公共財産の処分、管理、保全に更なる道の負担が増えていくだろう・・・。
人口流出に伴う経済損失、人心の停滞による諸々の不経済効果などを考え合わせると、結局は、今から、北海道も責任を認め、国と掛け合い、応分の負担を求め、時間を先取りして、夕張を生き返えさせる方が利を得るのではないのかと思えてくる。
今から30年ほど前、湯布院など当時日本の先駆自治体の成功要因を、(財)電力中央研究所で分析したことがあった。強力なリーダーと、数は少なくても取り巻き連中がいることが共通要因と結論されていた。
湯布院町の温泉街や日田市の梅、葛巻町の新エネ導入や上勝町の葉っぱ産業のように、リーダーや取り巻き連中が、まちづくりに向けて自ら芽生えるのを待つ訳にはいかないほど、現在の日本は、あまりに多くの自治体が悲鳴を上げている。このままではそれこそ日本が沈没すると思えるほどだ。そこに我々のようなNPOの役割が出てくる。
今、NPOは日本中で増えているが、正直どれだけが機能しているのかとも思う。志は純粋でも活動費の不足や理想のぶつかり合い、運営手法の認識差で停滞するNPOも多かろう。NPOを支える仕組みも少ない。特に、我々のような、行政を支援するNPO(新しい形態のシンクタンクといえなくもないが)は少ないだけでなく、存在意義を理解されてもいないといって良い。
第二の夕張は日本中に散らばる。夕張にノーマ・レイは現れているのか、まだ眠っているのか、私には、まだよく分からない。しかし、我々は、組合活動家ルーベンの役回りはしたのではないかと密かに思っている。