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碧濤のひとりごと

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年代観

 何の話が発端だったのか定かでないが、来年60歳になる仲間の一人が「実は、私の祖父は、元治元年生まれなんです」と言った。元治元年とは1864年、明治になる4年前のことだ。びっくりしたが、彼の年齢を差し引くとそれほど驚くことでもないか、と思えてきた。今に生きていれば145歳の祖父ということになるが、祖父43歳の時に生まれた父が、43歳の時につくった子が彼だと考えれば何でもないことだ。逆に言えば、60歳という年齢は相当な時間の重みがあるということだ。
 先日、1949年完成という小津安二郎監督作品「晩春」を見た。「結婚したくない」と言う娘役の原節子を諭す、父親役の笠智衆の台詞の中に、「お父さんはもう56だ、人生は終わりに近いんだよ...」というのがあった。
 60年前は、『56歳は人生の終わりに近かったのか』と、ノー天気な自分の年代観を重ねた。
 天下り先の確保に必死になり、楽な生活を確保した矢先の定年後まもなくに、ぽつぽつと知人がこの世を去る。少し長らえても、第2の人生を終え毎日日曜日になった途端、生き甲斐を見失う先輩諸氏もいよう。年代というものの客観的事実と、主観的感覚に大きな開きがあるのは、人生を安易に生きてきた証左なのかもしれない。
 急な入院で、先行きが心細くなったのか、義父は見舞いに来た知人に抱きついて泣くようになった。人生80年時代とはいうが、60年前に生きた人たちの年代観で残りの人生を生きていきたいものだと思った。

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