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碧濤のひとりごと

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技術より心術

 平成24年度から「武道」が中学校で必修化された。場所もとらず、道具も費用もいらず、一人でもできる空手こそ、教育の場には向いていると蔭ながら思ってはいたが、最悪の事件が起きてしまった。
 大学道場で空手の練習中に男性指導者を頭蓋骨損傷で死なせたとして、S大学3年の主将が逮捕された。指導方針を巡ってトラブルになり、OBでもある指導者(77歳)から張り手を受けた直後に回し蹴りをし、他の学生の見る前で、死亡させたというもの。・・・
 空手をライフワークの一つとしている私は大変ショックを受けた。
 亡父は日本本土に初めて沖縄空手を紹介した船越義珍の門下生で、特に三男の船越義豪に鍛えられた。父は教えられたことをそのまま弟子たちに伝えた。生死に関わる武術の教授に「体罰」は絶対にあってならないと教えてもきた。だから私も稽古で、先輩から張り手を受けたような記憶はない。基本技術の習得過程で、腕を払われたり、突かれたことはあっても、それなりに加減されたもので、相互に「指導」として了解ができる範疇でのことだった。
 助言や叱責が行き過ぎて、過剰な指導や体罰と称する暴力的行為に及ぶ事例は空手に限らず過去から聞くが、20歳も過ぎた人格ある人間にとっては悪害である。
 船越義珍の空手道二十訓の一つに「技術より心術」があるが、それは「勝ち負けにこだわり過ぎる愚かさ」を教えている。
 なでしこジャパンが2011W杯で世界一になった時、敗れたアメリカのワンバック選手が澤選手に駆け寄り「おめでとう。あなたを誇りに思う」と称えた。今年のロンドンオリンピック決勝では澤がワンバックに駆け寄った。 「技術より心術」の訓は、澤やワンバックの心情にこそ近いものがある。
 武術の競技試合で勝ったと天狗になってもそれは、制約された条件下の相対世界のことであり、消えていく強さだ。心術とは、姑息な心理的駆け引きの意味ではないのだ。弓道では的に当てようとする心さえ「捨てろ」と教える。場所も時も人も選ばず力を出し切るための、「心を練り上げる」武術の意味が、相対世界の上にあることを指導者は教えなければならない。
 空手指導者として自負している人たちには、今一度、ワンバックや澤選手の心情に思いを馳せてほしいと思っている。

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