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碧濤のひとりごと

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ミニ仏壇

 妻の実家は、築後20年しか経っていないので、両親が亡くなった後も姉弟が集まれるよう、そのままにしておくことになった。誰もいなくなった家には、仏壇と新仏の遺影が飾られているが、時折訪ねて、手を合わせるだけでは可哀想だし、私の両親と一緒に祀るのもおかしいからと、妻は、別に小さな仏壇を購入した。高さも40センチほどで、私の年代には“ミカン箱”といえばイメージがわく大きさだ。居間のテレビ台の上に置いているが、ちょっとしたインテリア家具のようで違和感はない。
 実家の庭の菊を刈り取ったのは二十日も前だが、自宅マンションに持ち帰った今も、ベランダに置いたバケツの中で、元気に花を咲かせている。秋が深まり小さな花しかつけられなかった菊も、捨ててしまうのは忍びないと一緒に持ち帰った。室内の花がしおれては、ベランダの花を移し替えている。大きな菊は大きな仏壇に、小さな菊はミニ仏壇に。ミニ仏壇に飾る花は小さいほど似合う。否、小さくなければならないとさえ思う。
 ふと、豊かになるということは、はみ出したものにも光を照らすことではないか、と今の世相を対比させた。モノの大小、強弱、緩急それらが混在してこそ健全な社会といえる。
 グローバル化は社会の趨勢だが、数十年前に比べ何が豊かになったというのか。失った豊かさの方が大きくはないのか。未来の資産を食いつぶしてまで、経済的豊かさを求める時代は終焉した。格差社会の進行、コミュニティの崩壊を前に、一辺倒の経済成長とは別の価値軸がようやく動き出している気がする。6次産業化もその一つの流れだと思う。
 「ミニ仏壇」という施策を掘り起こせば、今は捨てられているだけの「小さな花」も資源として活躍の場所を得る。花屋では決して売っていない小さな菊が、我が家のミニ仏壇を見事に飾っている。

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