2013/09/18 Category : エッセイ 想像力の欠如 異性の友人や恋人がいない若者が全国一高い比率だというある市で、男性には売れっ子ホストを講師に、女性には美魔女を講師に、出会いの演出からデートへの誘いまでを指南する講習会が開かれるそうだ。民間が金をとって開催するならともかく、行政が主催するのは何となく心に引っかかるものがあった。 無料故、参加者の誘引効果はあるかもしれないが、出会いを真面目に考えている人たちが、そもそも「真面目に参加」するのか、刹那的な気を紛らわすだけの出会いに税金をつぎ込む結果とならないのかと思った。 肉体的障害や貧困の中でも、こうして異性に出会えたとか、退勤後のボランティア活動が思いがけない出逢いをつくったというような経験者を講師に加えるなど、主催者はいろいろ考えるのが普通だろう。今回の企画の途上どんな議論が交わされたかを議会も質すべき気がする。当然そうしての結果だと答えられれば私の発想が古いだけだが、少し似たような講演会体験があったからこういう施策は気に掛かる。 むかし、観光振興に悩むある市で、観光関連の人たちを一堂に会し、大手航空会社の客室乗務員を講師に、おもてなしの心を語る講演会が実施された。バス会社や土産屋、ホテルや民宿などに働く人たちが集められ、<講演を聞いて、はい、終わり>の講演会だった。 こんな講演会に何の効果があるのかと思った。参加者をバラバラに組み替えグループごとに意見交換会も併設した講習会にするとか、講演会の後は名刺交換時間を設けるとか、同じ金を使うなら、施策の効果が最大になるように知恵を絞るのが行政だろう、と思ったものだ。私には、<観光振興に悩んでいない観光課>を公言しているような施策に映った。 想像力の欠如は、行政内のことばかりではない。最近、北海道に招かれたニュージーランドの先住民族マオリの女性が、口の入れ墨を理由に温泉への入浴を拒否された。「民族の伝統的な文化に基づいたもので反社会的な入れ墨ではない」と抗議したが、温泉施設側は「入れ墨は威圧感を感じる客が多く、お断りをしている」と説明したという。 偏見を持つ人たちには、「国際交流の大事なお客様です。反社会的な入れ墨には当たりません」と説明すれば事足りる話だ。元々、入れ墨入浴を断ることにした理由は何であったのか。知っていながらの対応なら<事なかれ主義>だ。事なかれ主義が住みにくい社会を増長する。毅然と対応できない想像力の欠如を思う。 [4回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword