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碧濤のひとりごと

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恥の文化

  経済産業省は6月26日、玄海原発の安全対策に関する佐賀県民向け「説明番組」をケーブルテレビやインターネットで中継した。
 2009年12月にプルサーマル運転し、1年後に緊急停止した、玄海原子力発電所3号機を、検査停止中の2号機とともに再開するための説明会だが、実は、3号機がプルサーマル運転される前の2006年に、京都大学の小出裕章氏や、原発推進派の東京大学大橋弘忠氏が参加し、白熱論戦したシンポジウムがあった。
http://www.youtube.com/watch?v=2WVTSIZNiVs&feature=youtube_gdata_player 等参照)
 推進派の主張は一言で言えば「万全の設計であり、反対派が懸念している事故が今まで起きていないのだから安全だ」と聞こえる。
 反対派は、「起きては困ることが起きる可能性があるから反対だ」で、主張は平行線となる。今回の福島原発事故前であったから、推進派の主張に納得する人も多くいたろうと思う。
 しかし、その懸念していた事故が起きたにもかかわらず、この巨大装置は、いったん動き出すと、容易に止められるようなものではないと当時の賛成派にもよく分かっただろう。
 耐震設計の見直し議論が起きているにもかかわらず、福島原発事故は津波が原因であり、津波対応ができれば玄海原発も安全だとして再稼働しようとする、この説明会がそれを物語る。
 電力会社や原子力保安委員会の、施設も機能も、ついでに社宅も、原発施設敷地内に閉じ込めてしまえば、推進派の本心がよく見えてくるのにと、低俗な妄想が湧き上がるのは恥ずかしいが、根にあるのは、堅固に構築された責任回避システムと、システムを運用する上部層の道徳観の欠如、つまり、「恥の文化」の喪失にあるような気がする。
 そうでなければ、顧問と称して社長退任後も同じ組織が抱えるのも、抱えられるのも理解できない。収監前に馬鹿騒ぎするホリエモンと同じ穴のムジナではないのか。どちらも自殺者を出すほどの事件になっているのに責任も恥も感じているとは思えない。おそらく日本のトップの多くが病んでいるに違いない。
 復興の過程を追跡し、たくましい庶民の記録を残すのは大切な作業だが、その底流にあるはずの、日本人の「恥の文化」を、社会システムの中に再構築する作業が、もう一つ必要な気がする。

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