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碧濤のひとりごと

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家族

 昨年3・11大津波では、釜石市の小中学生たちの99.8%に当たる2921人が<奇跡的>に助かった。三陸地方はおおむね100年周期で津波に襲われ、「津波てんでんこ」、すなわち、津波になったらめいめいで逃げろ、という言葉もあるほど、住民の防災意識も高いと言われていたが、その言い伝えが生きていたのではない。防災教育の成果だった。
 行政による災害対策や堤防などの社会資本が充実してくるほど、人間の意識は減衰する、と群馬大学大学院教授片田敏孝氏は危機感を持っていた。教授の危機感、必死の呼びかけに釜石市が理解を示し、津波防災教育の活動となり、釜石の奇跡につながった。訓練成果は、子供の必死の避難呼びかけに、渋々応じた両親や祖父母など「家族」の命も結果的に救うことになった。人ごとではなく我がこととして考えるように仕向けた防災教育があってこその成果でもあった。 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1312
 子供は時に大人の忘れたものを思い出させてくれる。ふと目にしたのは、人が生きていく上で絶対に必要なものを考えさせる、夏休み企画を主催した僧侶のエッセーだった。
 食べ物、空気、水、太陽・・・、家、洋服、お金・・・、ケイタイ、コンビニ、テレビ・・・子供の口から次々に出る項目でボードがいっぱいになったころ、「不便だけど、無くても大丈夫というものを消してみよう」と僧侶が言った。
 自然や地球環境に密接なものだけが最後に残り、「自然を守ることは命を守ること」と結論づける作戦だった。
  ところが、子供たちが最後まで残した一つに、「家族」という<予想外>の項目があった。生きる上で欠かせないものに、そもそも「家族」を挙げる大人がいるだろうか、と僧侶は自問した。そして「人の命は守られてこそつながる」のであり、「命の連なりをあらゆる観点から考えることこそ真の環境問題」と気付かされたという。
 津波からの避難を呼びかけた子供にとって、家族は、自分の生存に関わる大切な存在だった。では大人は子供をどう見ているのだろうか。かけがえない子供であるはずなのに、快適で、便利で、いい暮らしを・・・、という生命に関しない泡沫の価値基準を当てはめて、子供の未来を考えてはいないか。結果、未来の子供たちの命を軽んじる方向を選択してはいないだろうか。
 たまには、暮らしの中身に頓着しなかった昔の自分に戻って、つかの間でも、子供たちが感じる<家族>を共有したいものだ、と思う。

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