2014/11/18 Category : エッセイ 地方創生 未来の日本への不安は、25年前に想像したより深刻化している。 25年前の竹下内閣下では「自ら考え自ら行う地域づくり事業」、通称「ふるさと創生事業」というのがあった。全国の自治体に1億円ずつ、総額3千数百億円が投じられたが、どのような経済効果が生まれ、地域づくりが進んだのか、地方交付税交付金の使い道は国の関知するところではないとして、検証調査はないという。 当時は「一村一品運動」が言われ、成熟社会の未来不安から、あちこちの若者が「ミニ独立国」と称して、まちづくりへのエネルギーを、目に見える地域づくりにつなげようとした時代でもあった。しかし、「地方の時代」と言い、言われながら、いざ一億円を渡されると、どう使っていいか分からない<痴呆>自治体も多かった。宝くじを買ったり、金塊を展示したり、利子を期待して貯金した自治体もあるなど、「これがふるさと創生なの」と思いながらニュースを見ていた。 アベノミクスでは「地方創生」を言うが、「ふるさと創生」と同じ趣旨なら、この25年で、「地方創生力」はどれほど増しているのだろうか。 住民アイデアの中には、前例のないものや、時代を先取りしたものもあったろう。私が住んでいたR町では「ふるさと創生基金」として、まちづくりに役立つアイデアを募集した。仲間と相談し、消えかけていた地元民話を創作民話集として住戸配布しようと応募した。助成が決定するまでは「教育委員会がするべき仕事」とされて前例至上主義の波を受けた。今、地元の子どもには昔からある民話として、読み聞かせ会の台本として使われたり学芸会などで上演されていると聞き、ふるさとづくりに協力できたと喜んでいる。 アベノミクスは第1の矢の金融緩和で、株主や一部大企業を潤わせたが、その企業の末端ラインに働く「派遣労働者」には、利益に見合うペイバックはどれだけあるのか。この10年、公園管理や住民センター運営など多くの公共施設が「指定管理者制度」に移行したが、雇用者には生活保護世帯並みの暮らしでいる人も多いと聞いた。結婚はおろか、生活の行く末に夢さえを持てない現実がそこにある。「非正規労働者」の割合も90年代の2倍、雇用者の40%近くに高まり、消費低迷の一因になっている。もちろん彼らのほとんどは株式投資とは無縁にいる。消費が低迷している中、高級ブランド品の販売は好調だというデパート関係者の証言は、富が偏在している証左でもあろう。 第2の矢でいう財政支出の効果も疑わしい。公共投資は、インフラが整備された現代は波及効果は昔ほどない。投下資金の用地補償費に回る割合が高まり、肝心の生産誘発効果は減っている。公共事業が減って業界整理も進んできたところに、東北大震災が重なり、その復興中に財政支出が増えては資材高騰、専門職不足で、事業もはかどらない。無理に事業を進めれば手抜きや不良成果物が多く出て、後世の危険リスクや、製品寿命の低下につながり無駄な出費が多くなる。 第3の矢の、目玉と言われる「地方創生に係る交付金事業」は5年間で1兆円規模とのことだが、事業採択の可否を作文だけで判断する旧来の手法にも変わりはない。「審査で地方の本気度を見る」などともっともらしいことは言わず、いっそ、25年前のように無条件配布して、結果の成長事業に継続傾注投資する方が気が利いていると思える。机上の正否空論で失敗事業に終わるよりは、「予想外の成長につながった」という結果を継続助成に生かした方が、未来の地域づくりに役立つと思えるからだ。 この25年間、国債や借入金など国民借金は3倍以上に増え、今や1千兆円を超えるというが、その借金は何に姿を変えたのだろうか。「地方創生事業」が頼みの綱というなら、地方創生力、ふるさと創生力の成長を邪魔してきた正体は何だったのか。その検証なくして、地方創生事業も成功するとは思えないのだ。 [3回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword