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碧濤のひとりごと

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命の深さ

 人間の価値を金で換算するような社会構造がいつの間にかできて、そのトップに昇ることが人生の第一義であるかのような社会風潮が強く感じられる最近である。人の能力には差異があるし、個人努力のファクターもあるから、配分に偏りのあることは仕方ないが、それにも分をわきまえた限度というものがあろう。
 道義的責任に頬被りをして、(本当はあるはずの)法的責任が問えないからと億単位の退職金をもらう東京電力社長や、何万人という人を生命の危機に陥れておきながら、地位に居座り続ける原発村の人たちを見ていると、被曝地に入り込む泥棒以上の「浅ましさ」を感じる。
 人間の価値は社会的地位にあるのではない。そう、つくづく思わされたのは、ダウン症の書家、金澤翔子さんの作品を紹介する昨年暮れの番組であった。ダウン症と言えば、染色体の異常による知的障害者と捉えるだけの人が多いと思う。しかし、知的能力に障害を持つことと、命の深淵に迫っていることとは、全く別ものであることを、まだ25歳の彼女の作品群は教えてくれる。(参考 http://noritake777.jp/kanazawa/shouko-index.html など)
 年を経るに従い、花鳥風月が心に残るようになってはきたが、彼女の書が訴える花や月は何と深い命の心象であろうか。私もこのような心象を得たいがための人生だったはずだが、社会生活の浅ましさの中で毒されてきたことを、彼女の前では認めざるを得ない。
 弱い者、目立たぬ者たちを「劣る」と言ってはならない。思ってもならない。命の輝きには知能も社会的地位も全く関係しないのだから。彼女の書はそれを教えて余りある。
 命の深さを実感するような社会を創るために我々の今なすべきことは何か。今年はそれを自らに問いつつ行動する日々でありたいと思う。

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