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碧濤のひとりごと

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会話人口

 朝起きてから、夜寝るまでの間に一人の人が話す人数の総和を「会話人口」として考えてみたい。刹那的な暴力事件が増加し、格差社会で落ちこぼれていく若者たちを身の回りに見るようになってくると、家族内を含め、近隣に住む人々の間に、どれほどの「会話」があるのだろうかとふと思ったからだ。
 人口千人の町でも、各人が十人と話せば「会話人口」は一万人だ。財政破綻した夕張の人たちが、何とかがんばっていられるのも、会話する機会が多いからではないのか。応援隊として入り込んだ人たちが、異口同音に夕張人の明るさを言うのは、外部の人に取り繕っているからではなく、会話人口がもともと多い炭坑町という特殊性も寄与したのではないか、と思っている。
 少子高齢化が進み、「定住人口」の増加が望めない各地で、地域振興を語る時によく出てくる言葉に「交流人口」がある。人を呼び込み、地域資源を活かし、滞留時間を増やして消費拡大を図ろうと、観光振興の立場からよく使われる言葉だ。
 しかし、交流人口を言う前に、今一度、計画のありようを振り返ってみたい。地域の疲弊が進み、政策的予算が限られる時代がしばらく続く。「コンクリートから人へ」とか、「コンクリートも人も」とか政策の力点の議論もあろうが、地域振興にとっての施策は、「会話人口」を増やす効果が顕著であるか、その施策の実施過程では「会話人口」が増える仕組みを付加しているかを確認する視点があっていいと思う。
 定住人口の減少は避けられないにしても、会話人口は増やせるはずだ。まちの「元気」は、結局はそこに住む人々の「会話の多さ」によるに違いないと考えている。

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