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碧濤のひとりごと

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ナミダ

 人間以外にも涙する動物がいる。過日のテレビ番組「天才!志村どうぶつ園」。18年前、交通事故で亡くなった象使いの坂本哲夢さんは、子象のランディをかわいがっていた。25才になったランディに哲夢さんの生前のパネル写真を見せ、ラジカセで声を聞かせると、涙を浮かべ、いとおしそうに鼻でそれらをなで回していた。その番組を見た多くの視聴者が感動したことだろう。
 10年ほど前、シカゴにあるブルックフィールド動物園のゴリラ舎に転落し、気を失った子供を、そっと抱えて飼育係の部屋に向かったゴリラの映像も多くの人を感動させた。
 若いうちは何となく気恥ずかしくて、瞳をぬらすだけで堪えていた「感動」の涙は、今ではまぶたから溢れるようになった。時々テレビ放映される施設のイベントなどで、幼児の訪問にさえ涙を浮かべるご老人の気持ちも分かる気がしてきた。
 痛さや空腹に泣くだけだった子供が、悔しさに、悲しみに泣くようになり、愛するものを思うだけで涙し、受けた優しさに泣くようになっていく。花鳥風月に涙が浮かぶようになってくると、人生も大体終わりに近づいているのかもしれないが、人は何と豊かに涙を流すことかと思う。感動する唯一の動物であるはずの特質を失っては人間ではいられない。
  昨年、水風呂に沈めるなどして4歳児を虐待死させた夫婦の家は、稚内にいた頃の自宅から100mも離れていなかった。人間顔した人間が人間と思われない行動をとる事例が身近に起こったせいもあってか、最近はこの種の事件がやけに多く感じる。そして彼らはどういう時に涙を流すのだろうか、とふと思う。
 幼児を虐待する者たちばかりではなく、為政者たちの施策・言動に失態が目立つのも、彼らの日々に、感動の涙が抜け落ちているからのような気がしてならない。

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