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碧濤のひとりごと

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へそ曲がり

 昔から、周りが言うことに「違うのではないか」と考えることが多かった。そのたびに協調性に欠けるとか、へそ曲がりと言われた。多数意見に合わせていれば、もう少し賢く生きられたのかもしれないし、へそ曲がりと言われても、知識を深めていれば「一家言持った人だ」とおだてられたかも知れないが、へそ曲がりは直らないまま、勉強もしないままで今に至ったから、このまま、偏屈なじいさんになっていくのだろうな、と想像している。
 多くの人が鳩山政権に失望したのは支持率の急減が証明しているが、事業仕分けで不要な事業・団体を一斉にあぶり出したり、事務次官会議をなくしたり、省益横並びの予算編成にメスを入れたことは、前政権ではできなかったこととして大きく評価している。
 期待を裏切った批判は免れないが、へそ曲がりから見れば、基地問題は今のところは前の計画に戻っただけのことだし、思わぬ形にせよ国民へ情報提供することになったのは、彼の誠意によるのだろうと理解している。彼の誠意とは、沖縄に深い関心を持ったことなどない多くの県外の人に、名護市や辺野古がどこで、キャンプ・シュワブとは、基地問題とは何か、沖縄県民の心情は等々、インターネットも含めて調べる気にさせたというへそ曲がり的理解である。
 今日は全国植樹祭。森はCO2を吸収するから、植樹は温暖化防止に役立つと参加市民はみな良いことをしたような気になり清々しい一日を送る。植樹自体は何ら悪いことはないが、へそ曲がりから見ると、過年植樹した場所がどうなっているのか、間伐や枝払いにも市民関心を向ける施策の方が大切な気がする。
 種を採取し育て、苗木を山に運び、植樹する。上手く育っているか時たま見に行っては下草を刈り、後年、我が子に子供時代に植えた木を見せては木の生長を喜ぶ。そんな一環があって初めて植樹だと考えるが、軍手を渡し、スコップを貸し、中には飲みものを配る植樹祭まであると聞くと何か違うと思えてくる。苗木の手配や、整地などに役所も直営作業で参加する時代だろうが、そんな今だからこそ尚更、命じる立場の管理職には、たまには、へそ曲がり的思考でチャレンジする勇気が必要なのではないかと思う。日本もここに至っては、社会の変化に対応できなかった堅実思考より、賢いへそ曲がり思考の方が社会貢献の可能性を秘めていると考えるからだ。

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